〜さざなみのおおやしま〜

何でも「少なく、小さく、軽く」が身上のミニマリスト。GAFAMの犬。楽天経済圏の住人。<サラリーマンのテーゼ>について考える。

ヴィラ伏見@伏見区風呂屋町

かなり昔ですが住んでいた。

大手筋商店街にも近く便利。
京阪伏見桃山駅近鉄桃山御陵駅へは大手筋のアーケードを通っていける。
雨に濡れなくてよい。
 
物件は古くなっている。
その分御家賃安め。
徒歩圏内(2km)に駅が幾つもある。
伏見は原付か自転車が移動に便利。
確かに自転車駐輪場が狭いのは問題。
コイン式の洗濯機と乾燥機が2階と4階に1台設置されている。
エレベーターは設置されていない。
現在は消防法の規定で4階建はエレベーターが設置すべきだったと思う。
規定が作られる前の施工だったのであろう。
4階以上に住むと不便。
4階に住んでいたが、3階まできて4階についたつもりになったことが何回かあった。

ブーランジェリ ブロン@深草大亀谷八島町

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京都教育大学の近く。
京阪墨染駅JR藤森駅の中間の場所にある。駐車場も有る。
南欧風の洋館をモチーフにしたマンションの1階にある。
お店の前には小さい池があり、鯉が泳いでいる。
店内はそれほど広くない。
 
住宅街にある近所のパン屋さんといった雰囲気。
パンのバラエティは豊富でどれも美味しそう。
ラクスやクッキーも売っている。
あんを使ったパンが評判。
素材にこだわりパンを作っている。
伏見の天然水を使った食パンが人気らしく、取り置きしている食パンがいくつもあった。
自分がパンを選んでいる間にも取り置きの食パンをいただきに来た方がいた。直感的に「あっここはおいしいパン屋さんだ」と思った。
値段もそれほど高くなく良心的。
普段使いにも良いボリュームと価格。
パンを常食と考える僕にはちょうどいい。
 
家に持ち帰るとおいしそうな小麦の香りがして期待がたかまった。
翌日の朝パンをいただいた。
どれもおいしかった。
パンの生地がもちもちしてしっとりしている。
小麦の香りが翌日も残っていた。
どうやって焼くんだ、これ。
うまい。
 
特に塩パンがうまかった。
シンプルなパンがうまいって相当なものだな、と思いながら食べた。
また行こう。
(再訪)
今度は評判の伏見の天然水でつくった食パンをいただこうかな。次の週に早速再訪。
伏水の食パンをいただく。
うまい。
ホテル食パンのよう。
なぜか耳付近がうまい。
買ってきた翌日はそのままいただき、次の日は軽くトーストしてバターをぬっていただいた。
うまい。
フランスアンパンもうまかった。

伏見桃山総合病院@伏見区下油掛街

まだ大橋総合病院という名前だった頃、2度ほど入院したことがある。
二度とも大学生なのに過労だった。先生は親切な方で、大変に心配してくれた。
 
死ぬほどの病ではないが、一人暮らしの学生で、生活費の殆どを賄うためのアルバイト、学業、地域ボランティアと忙しい時期が重なって2月末頃に体調を崩していた。
入院したことを親元に伝えてもらったが、二度とも両親はこなかった。
二カ月後の桜の時期の京都には夫婦揃ってきたのだが。
 
そんな中でこの病院に入院して、手厚く看護していただいたことがどれほどありがたかったか。
二度ほど救われた思いがしている。
あれから二十年ほほどたったが、いまでも忘れられない。
この病院に入院したときの暖かい想い出が、いまでも伏見が大好きな理由の一つである。

旧坂田郡本郷村について

本郷地区は現在は米原市であるが、以前は山東町、さらにその前は東黒田村であった。
現在でも東黒田駐在所があることなどから東黒田村の首邑は長岡であったのだろう。
長岡は東海道線近江長岡駅があり、旧山東町役場もあった場所である。
この周辺がどういった意味で「本郷」なのか不思議だった。
東黒田村より以前、黒田六郷というのがあったらしい。本郷、堂谷、大鹿、志賀谷、北方、山室がこれにあたる。現在も地名として残っている。
この六郷の中心が「本郷」であったということらしい。
この付近を室町時代に治めていたのが黒田氏である。近江の守護大名佐々木氏(京極氏)より別れた氏族である。
さらに黒田如水の姫路の黒田氏は、この近江の黒田氏より別れたという説があるらしい。
 
近江は立派な公民館をもつ字が多い。公民館と称さず集会所、会議所、会館となっている場合が多い。
滋賀県は昔からの村落がよく残っている。
地方としては人口減少が少ない土地柄ゆえ思われるが、村落共同体も伝統的に強いのではないかと思う。
この本郷公民館はいままでみた字の公民館・集会所・会議所・会館でも最も立派なものと思われた。
さすがは「本郷」である。
本郷会館には「御屋形跡」の石碑がひっそりと立っている。
 
近くには旧山東西小学校跡もある。
山東東小学校は長岡にあったため、旧山東町でも首邑長岡と並ぶ村であったのだろう。

米原駅〜ビッグステーション付近が開発されない理由〜

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米原駅西口

 

東海道新幹線の停車駅、JR東海JR西日本の新快速の始発駅、北陸線の始発駅。
JRのない東近江市八日市方面へいける近江鉄道の始発駅。
 
駅構内には改札付近にセブンイレブン(7:00〜21:30)とホームにそば屋、在来線駅内に井筒屋さんのお弁当の出店。
新幹線駅構内にキオスク、西口付近に小さな食堂がある。
どのお店も営業時間は短い。
西口を出る居酒屋山内牧場、イタリアンレストラン
ちょっと歩くとたい風ラーメン、ほっかほか弁当、ファミリーマートがある。
東口付近には個人経営の喫茶店
駅から出て周辺を楽しむというのはちょっと厳しいかもしれない。
スタバかドトールぐらいあってもよさそうだが、どちらもない。
昔はジュニアデパート形式の平和堂が駅前にあったが、閉業。
フレンドマートとしてリニューアルオープンした。
 
周辺は駐車場が多い。
新幹線停車駅、各種の始発駅のためやむを得ないが、これがビッグステーションたる米原駅への周辺の発展を阻害している一番の要因。
干拓により生み出された土地は政策的理由から安く払い下げられたが、今となっては固定資産税対策で駐車場。
せめてタイムズパークのような無人にすればよいが、さして愛想もよくないオジさんが朝から小屋に詰めているとう状況。
無人にして他の仕事すればいいのに。
出勤する身としては著しく勤労意欲を削がれる。
また駅周辺への商業施設等の集中を阻害していると思うと、少々どうなんかぁ〜って思う。
 
田舎で育った私が通学に利用していたのは、国鉄の風色濃く残る在来線だった。
駅員というのは横柄なもんだな、と高校生ながら思っていた。
 
大学で関西に出て、京阪淀屋橋駅の改札口で絶叫するように、おはようございます!いってらっしゃいませ! という駅員さんを見て、さすが私鉄王国関西だと驚いた。
京阪沿線の小さな駅の近くに住んでいたときは、駅員さんが朝は いってらっしゃい 、夕方は おかえりなさい、と言ってくれてた。
今でも憧れは阪急だけど、好きなののは京阪。
 
そののち仕事で田舎に住んだ。
やはり私鉄でもJRでも駅員はさして親切ではなかった。
滋賀に移り住んで最初に米原駅の改札を出たとき、JR西日本の駅員さんが ありがとうございました、と言ってくれた。
あぁ、関西に帰ってきたのだな、と嬉しかった。
 
駅のロータリーは最近できた。ロータリーの構造やら乗り方がよくわからない他県の方が、結果としてマナー悪くなるようだ。
滋賀だけじゃなくてほかの県の方もよく利用される駅。
しかも車できて新幹線乗る的な使い方をしているようだ。
自分の印象ですが、滋賀ナンバーの方はおしなべてマナーがいいように思う。
 
ちなみに米原駅周辺には適当なビジネスホテルが少なく、東横イン行ったと言う状況である。
予約は以下のサイトから行うのが良いのではないでしょうか。

近江孤篷庵(紅葉の名所)@長浜市上野町

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里山の名庭園はきれいさび日本三大茶人・小堀遠州菩提寺

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枯山水と池泉回遊式庭園。いわゆる「きれいさび」の庭園。白洲正子も愛した庭。廃寺同然であったが地域の人々が手をいれて徐々に復活させていった。

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やがて人間国宝級の絵師や庭師も共感して協力、現在のような形となった。この廃寺名園復活の話を聞いたとき、やはり近江人は大したものだと目の覚める想いがした。
物の価値を理解する文化的素養と、毀つことなく丁寧に保っていける勤勉さこそ、近江人の偉大さだ。近江は長閑な場所ではあるが、千年以上前から現在に至るまで、単なる鄙びた田舎であったことはない。
素晴らしいものが野山の中に点在し、素晴らしい価値観と行動様式を持った近江人たちがいるのだ。
晩年、近江に傾倒した白州正子の言葉によれば「近江は日本の歴史の舞台裏」だそうだ。近江の地は遠景も中景も近景も美しい。
 
古いものが廃れることなく、よくその姿を保っている。
水は清冽で、山や野良は掃き清めたように手入れされている。
寺社や古い住宅は、独特の美の基準を持っているかのように思える。
 
自然と人間の造作というよりは、鉛筆で描いたように美しい。古くは俳人松尾芭蕉が終の住処として定め、白州正子、遠藤周作司馬遼太郎文人も近江と近江人を深く愛したことも頷ける。

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ドンク北白川店@左京区北白川山田町

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パンは当然おいしい。
テイクアウト、イートインの両方可能。
店の裏側に駐車場がるのでアクセスしやすい。
店内は天井が高く気持ちがいい。
 

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大きな窓から白川通の街路樹が見える。
お紅茶とクロワッサンをいただく。
もう最高。
エリア的に客筋もよい。
私立小学校に通っているお子さんとお母さんがいたが、学校指定の子供のバックが真三郎帆布だった。
福井ナンバーの高級車に乗ってきたおっちゃんとおばちゃんは、食パンを大量に買っていた。
いい雰囲気のいいお店。

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自分でフランスパンとか作れたらいいなぁ、、って思う。
 
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朝妻港跡@米原市朝妻筑摩

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朝妻湊は古代から東海・北陸地方の人の行き来や荷物の運搬など、湖上交通の要港として発展。奈良時代には朝廷の台所である大膳職御厨が置かれ、北近江、美濃、飛騨、信濃などの諸国から朝廷に献上される品物や税、それに木材や食料などが集積され、大津や坂本などの湊を目指して多くの船が行き交っていた。
 
平安時代末期、木曽義仲の後続部隊の出陣時にも朝妻湊を経て戦地に向かった。
秀吉が京の大仏殿建立の際、尾張や美濃から木材を運搬し、重要な役割を果した。
江戸時代に入り彦根藩米原湊を御用港として保護するのを境に、それまで行なわれていた湖上交通は制限、港のにぎやかさは影をひそめた。今では朝妻湊跡の石碑、港内に敷き詰められた石畳が、当時を偲ぶものとして残っている。現在はバス釣りなどにくる他府県ナンバーの車が多い。
地元民の名誉のためにあえて書くが記念碑前のゴミはビジターが置いたものである。
あの近江の人が自らの故郷を汚すような真似をするとは、わたしにはとても思えない。

うろこや総本店@尾花沢市尾花沢

よきに似よ あしきになよ 世の鍋の 人の心は自在なりけり
 
1684年創業の老舗。初代・戸田安右衛門は近江から出羽に降るときに、千手観音(現在は山形県有形文化財に指定)を背負ってきという近江人らしいエピソードも持つ。
現在でも「始末第一」「質素倹約」という近江商人の理念を商いの基本としている。
 
山形には意外と近江にルーツももつ老舗が多い。有名な地酒「出羽桜」の蔵元も近江商人を祖とするらしい。
山形のお漬物「おみづけ」は「近江漬け」であり、山形の人々が捨てていた青菜の派の部分や野菜の切れ端すら捨てずに組み合わせた近江商人の「始末第一」の凄みを感じさせるもの。
山形の人々は現在でも「おみづけ」を非常に愛している。
お金のことを「じぇに、じぇね」(ゼニが訛ったもの)、いくらのことを「なんぼ?」と聞くのは近江商人はじめ上方の影響だと聞いたこともある。
 
戸田家・うろこやは内陸河川港のあった大石田で商売を拡大した。
二度の大火により打撃を受け、菓子の小売へ参入。
後に飲食店経営にも参加するなど、複合経営によるリスク分散により商いを継続してきた。
1970年代に一転して製菓業及び販売に経営資源を集中。
現在はベーカリーのお店を含めて5店舗を展開している。
 
山形の方に手土産にもっていく場合はこちらのお菓子がよろしいかと。
ずんだ大福は間違いのない一品。うまい!
重さもあるので丁度いい。

醒ヶ井駅@米原市醒井

滋賀県にあるがJR東海の駅。
2020年1月現在では、ここまでがトイカ のエリアで隣の米原はトイカ のエリア外ということになる。
米原駅までエリア拡大の予定はあるそうである。
 
昔は広めの無料駐車場があり、駅利用者や醒ヶ井宿の観光や散策にも利用できた。
しかし2019年に有料駐車場となった。
地元は柏原駅近江長岡駅醒ヶ井駅の自動改札化をJR東海に要望していた。
イカ交通系マネーに対応すること、自動改札化されたのと引き換えに、駐車場が有料化。
と勘繰ってしまいたくなる。
 
彦根に住んでいる知り合いが、名古屋方面へ電車で向かう場合、必ず米原で乗り換えが発生することに不自由を感じていた。
そこで彼は車で醒ヶ井駅まできて、ここから名古屋方面への電車に乗っていた。
大変都合がよいとご満悦だったが、昨年からこれができなくなった!と怒っていた。

新疋田駅@敦賀市疋田

北陸線の駅。
北陸本線付け替えにより設置。
旧線には疋田駅が設置されていた。
新疋田駅と疋田駅は併存して営業していた期間がある。
周辺地域の人口減少が著しく、現在は無人駅。平日はおそらく10~20人程度の利用客。
土日には様子が変わる。
 
40台程度のキャパシティの駐車場は満車。
パークアンドライドで主に関西方面へ行く人たちが利用している。

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2006年に周辺の木之本~敦賀間の北陸線が電化。県境付近の無人駅が、JR西アーバンネットワーク内の駅となった。
現在は、新快速・乗換無しで京阪神まで行くことが可能。加えて当駅の駐車場は無料。
敦賀より新疋田で乗ったほうがいいだろう。疋田だけでなく刀根などを含む「愛発」駅への変更要望がある。
ヤマト朝廷が設けた三関のひとつ「愛発関」がこのあたりに置かれたことに由来する。
愛発関をこえれば、そこはコシ(越)の国である。
敦賀は嶺南ではあるが、若狭ではなく越前だ。国道161号線を挟んだ向かい側の高台に宅地開発された場所がある。
鉄道通勤客を見込んだ宅地開発だろう。
開発から20年程度はたっている。
空家や更地に戻された区画もあり、結果は芳しいものではなかったようだ。

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醒井水の宿駅みゆき@米原市醒井

新・日本名水百選のトップ当選の場所に立つ水の駅。
むかしからここで水を汲んでいた。
コーヒー、紅茶、緑茶に入れるとうまい。
ご飯を炊いてもおいしい。
そのまま飲んでも当然うまい。
ひっそりとしているのがまた風情でいい。
実家から引き取った飼い猫は、実家にいるころは山の湧水を飲んでいた。
自分の家に引き取ってからは水道水ばかりだったので、湧水なつかしかろうと醒井の水を与えてみた。
すごい勢いで飲んで寝床に戻って満足そうな顔をしてた。
しばらくしたら思い出したように起き上がって水を飲みにいく。
それを4回繰り返した。
冷たいうちにたくさん飲んだものだからお腹壊してしまった。。。。
猫にもわかるおいしさということだろう。
水を汲めるほか、フードコート方式で食事を取る場所、バイキング、地元の名産や野菜の販売所がある。
おそらく指定管理者制度で管理者が変わって、少し雰囲気が変わってしまったので残念だ。

醒ヶ井宿@米原市醒ヶ井

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旧八代食料品店。現在は閉店。


醒井宿は中山道61番目の宿場だった。
豊富な湧水がに恵まれていた。
清冽な水は旅人の疲れを癒した。
今も地蔵川の清らかな流れが町を潤していて、人々の生活に結びついている。
かつて毎週末のように近江を訪れていた頃、醒井宿で必ず休憩をしていた。
湧水のながれが美しく、街道の風情をよく残していた。
私の胸は踊った。ああ大好きな近江にきたのだな、と実感できる場所だった。
八代食料品店(現在は閉業)の前で桜の花の下に日本猫、地蔵川醒井大橋を一つの風景として見た時には、偶然の道具立ての素晴らしさに息を飲んだ。
ああ故郷がこのような風景であったらさぞや懐かしいだろう、と。
ほかのどこにもない素晴らしい場所だ。

この素晴らしく美しい場所を保ってくれてありがとう。

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旧坂田郡醒井村について

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明治22年、一色村・醒井村・枝折村・上丹生村・下丹生村・榑ヶ畑村の区域をもって発足。
昭和31年、息郷村・米原町と合併し、改めて米原町が発足。
同日醒井村廃止。
さらに米原町伊吹町山東町、近江町と合併し現在の米原市となる。
今でも米原警察署醒井警察官駐在所が残る。
醒井村の警察署がそのまま駐在所になったのではないか。
米原署の他の駐在所も昭和20年頃の村単位で設置されているようだ。
戦前の国家警察への反省からGHQは、これを解体。自治体警察とした。
米国の保安官制度に倣ったのだろう。
占領終了後、あまりにも弱体化しすぎたとして都道府県単位に再編された。

パッサージュ納屋町(納屋町商店街)@伏見区納屋町

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パリのアーケード「パッサージュ」をイメージしてデザインされたアーケードを持つ商店街。

「パッサージュ納屋町五番街」という愛称を持つが正直、定着はしていないようだ。

納屋町商店街の歴史は古く、豊臣秀吉伏見城築城と同時、伏見開府に遡る。

400年以上の歴史があるということになる。

納屋町は規模は小さいが、かつては洛中の錦市場に擬され、「伏見の台所」と呼ばれた。

八百屋、魚屋などの食料品店や生活雑貨店が多く、買い物客で賑わった商店街である。

平成一桁の頃の大手筋界隈にではまだ、「食料品は納屋町で買うと安い」といった評判があった。

当時は長崎屋があったが、衣料品を中心とする珍しい総合スーパーだった。

食品を扱う店が多かった納屋町では競合することが少ない業種であった。

長崎屋でCDやバック買うついでに、納屋町で買い物ということもあり共存関係だった。

長崎屋の跡地は現在は大きなマンションになっている。

平成の後半から空き店舗で目立ち始め、シャッター通りの様相を呈していた。

現在は空き店舗に飲食店が立地しはじめた。

現在、同商店街で最も有名なお店はササキパンさんだろう。

最近はちょっとハヤイ感じの個性的なお店が新規出店している。

おそらく戦前から続く川魚や八百屋、漬物店のとなりに、オシャレなバルやバーという多様さこそが伏見らしく、大手筋界隈らしくていい。

この街に仕掛人はいらない。

多用な個人や団体の一見無秩序な集積と協調こそが、この街を魅力的にし、活力をうみだし、衰退することになく400年以上の命脈を保つ街としてきた。

納屋町商店街はいろいろと集客のためのイベントもやっていることが成功しつつある。

報道によるとラーメン店が数店舗まとまって進出する予定があるらしい。

復活をとげつつあるということだろう。

今後も楽しみである。