〜さざなみのおおやしま〜

何でも「少なく、小さく、軽く」が身上のミニマリスト。GAFAMの犬。楽天経済圏の住人。<サラリーマンのテーゼ>について考える。

『大阪デビュー! 東京から引っ越してきてみれば…』


どうせ転勤なら「古都・京都」

「異人さんの街・神戸」がいい。大阪は

「下品な芸人といえば大阪芸人」「二言目には金の話」「光りモノ好き」と絶叫するも転勤・転居はさけられず、友人には「大阪の女の人ってキツそう」「大阪って日本じゃない。アジアのどこか」「何かと危ない」「東京弁使う人は仲間はずれ」と脅される。

大阪に移り住み、「芸人のようなリアクションをとるリーマン」「生まれながらの劇団員のような近所のおばさんたち」「部下のことを「友達や」という上司」「いらちなイメージとは対極にある堀江や中崎町スローライフな若者たち」「ゆるく、自由に、いいかげんに生きているように見えるアメ村の若者たち」「誰が社員で誰がバイトが見分けがつかないほど働くことに熱心な若者たち」「東京出身でありながら岸和田を「故郷」という同僚」そんな大阪の人たちに触れて、著者は大阪に「慣れていく」。

そして

しかし大阪の人たちの歯に衣きせぬ物言いの中に、大阪人特有の気遣い、ナイーブ さ、あったかさ、人間愛があることに気付き始めていた-。

責任感が強くて、情熱家で、全くの見ず知らずでも困っている人を放っておけない、そんな大阪人たちが、私は少し好きになり始めていた-。

恋にも遊びにも人助けにもエネルギー全開。突っ走りすぎて危なっかしいところもあるけど、こんな彼らのいる人情の町・大阪が・・・ 私は大好きだ-。

と変化していく。

この物語、みちのく出身で関西に住むようになった私にはよくわかる。
作中に出てくる「大阪人」たちも、よく特徴を捉えている。

関西でいろんな人に親切にしてもらった。
それは幸福な経験だったのかもしれない。
だから京都の人も好きだし、大阪の人も好きだ。
最近では滋賀の人たちが大好きだ。

大阪・関西の人たちは、見知らぬ人たちにも非常に親切だと思う。
知り合いに親切なのは当然だが、関西の人たちは見知らぬ人にも親切なのだ。
社会契約的にそれが「万人の万人に対する闘争」から人々を救い、社会全体の幸福を増すことを、長い都市としての歴史、人間の営みの濃厚な歴史のなかから紡ぎだした「叡智」だと、私は思う。

 

最初はとまどった。

ラジオで馴れていたとはいえ、関西弁はやはりキツく聞こえたこともあった。
1年もすれば居心地がいいことこのうえなくなっていた。
だから、この本に描かれているものがたりはよくわかる。
東京発のマスコミで流布されているステレオタイプの「大阪人」に迎合するでもなく、積極的に反論するものでもない。

この本に登場するのはリアルな大阪人たちとの、なにげないエピソードの数々。

好著だといえる。

著者は大阪に一年住んだあと、東京に戻ったが、すっかり関西人に「身内意識」を持つにいたったという。ヨソのモノを「大阪好き」にしてしまう大阪はやはり魅力的な街だと思う。
著者もそうだし、私自身もそうだった。「あとがき」には「滋賀は関西ではない」とからかわれながらも「でも大阪大好き」と嬉しそうに大好きな大阪について語る滋賀出身の出版社のかたが出てくる。

やはり大阪は魅力的な街だ。