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近江・滋賀について
交流軸の都市は栄えるという言葉がある。あの近江名所図屏風に描かれた琵琶湖周辺の賑わいは、まさに交流軸の繁栄を示していた。
滋賀県の躍動の源は、鉄道と道路にあった。交流軸の上の都市は栄えるという原則を近代の滋賀県が証明していた。1963年、我が国最初の高速道路の名神高速道路が開通した。その名神高速道路は滋賀県内を通過した。さらに1972年、日本で4番目の高速道路・北陸自動車道が開通した。この北陸自動車道は、東名・名神高速道路と比べると一見して地味に見える。しかし日本の国土への影響に関しては、東名・名神高速道路と同様にその持つ意義は大きい。この北陸自動車道によって、太平洋側の圏域と日本海側の圏域が直接結びついた。雪深い北国と暖かい関西・中部が、あっという間に行き来できるようになった。そして、この北陸自動車道が東名・名神高速道路に合流した場所が、滋賀県の米原インターであった。20世紀になっても琵琶湖周辺が、東西日本と南北日本のネットワークの結節点となった。
滋賀県の歴史は「交流軸は栄える」ことを鮮やかに教えてくれる。
大阪について
この大阪に住むと、大阪の心地良さがいつの間にか身体に浸み込んでいく。大阪人の人懐こさとこだわりのない暖かい会話は東京にはない。市内のどの街にも細長い商店街があり、そこの食堂、銭湯で生活していれば単身赴任でもなんら不自由を感じない。
都民の憩いの場のすべての緑地は、かつての権力者たちがつくったものばかりであった。パーレビ王朝がつくったテヘランのバリアスル並木道や中国王朝がつくった北京の景山公園と同じように。
大阪の人たちが緑を愛していないかというと、決してそうではない。大阪の人たちは草木や花をこよなく愛している。どこの路地に入りこんでも、狭い軒先に小さな鉢植えがところ狭しと置かれ、季節の花があふれんばかりに咲き誇っている。大阪の人々が草木や花を愛していることは間違いない。しかし、大きな緑の空間に出会うことはめったにない。
注記
大阪には巨大な権力者がおらず権力者がつくった巨大な公園がない。
”豊臣幕府”の政庁は伏見城であり、大阪は城は豊臣家の私邸の位置づけである。