庄内は天恵の沃野、正に之を以って国を立つべき楽土なり
明治26年(1893年)に米保管倉庫として建設された倉庫群。
屋根が三角で壁は黒塗りの大きな倉庫が並んでいる。
倉庫群の裏側には、日よけと風よけのための樹齢150年以上の大ケヤキ36本が並ぶ。
物流の集積地、港町として繁栄した酒田を象徴する景色である。
この地の重厚な歴史が、本来物流施設にすぎない倉庫群に風格を与えているように思える。
夏の高温防止のために背後にケヤキ並木を配したこと、内部の湿気防止には二重屋根にしたことなどから、一部は現在でも現役の農業倉庫として使われている。
敷地内には観光物産館および庄内米歴史資料館が併設されている。
カフェ的な食事をする場所もあり、外で飲み物などをいただける場所も準備されていた。
ケヤキの大木のすぐ近くであり、秋〜春にかけては心地よい場所だろう。
ちなみに「庄内」というのは他の山形県とは気風や文化を異にしている。
内陸地域の山形は「どこにいても山が見える」と形容される風景であり、北国・雪国のイメージが強い。
東北にありながら上方文化の影響が色濃く、有力な譜代藩の精緻な統治を二百五十年に渡り受けた(国替えがなかった)ことなど、他の山形県の地域とは異なる点が多くある。
現在では、空港、新幹線や高速道路といった高速交通網の遅れから、経済的には内陸部に遅れをとってしまったが、伝統的には内陸部よりも庄内地区のほうが「開けていた」のではないかと思える。
戊辰戦争において奥羽越列藩同盟諸藩は、洋式調練された兵と最新式兵器を有する新政府軍に圧倒されたが、庄内藩のみは領内への新政府軍の侵攻を防いだばかりか、これを押し返し、新政府側の秋田藩領内へ進撃している。
庄内藩も最新式の兵器を持っていたのだ。
豊かさと東北の地にありながら、よく時代の変化に対応していたということだろう。
わたしは同じ山形の内陸の出身だが、正直、庄内の文化の蓄積の厚みには圧倒される思いがする。
現在でも庄内のほうが文化的に洗練されているように思える。
山形というと「貧しい」とのイメージがある。
米中心の経済であれば、稲作適地とは言い難い北国の山形は、構造的に貧困を抱えることになる。
現在では米どころとのイメージがあるが、単位面積あたりの米の収量が、西日本の滋賀県を上回ったのは戦後の話らしい。
ただ庄内地域はずっと豊かであった。
「庄内は天恵の沃野、正に之を以って国を立つべき楽土なり」
表高14万石であったが実力20万石とも30万石とも言われた。
江戸幕府創業の功臣の家筋に褒美として与えるほどに、この地は豊かだったのだ。
正直に言うと勘違いをして訪れた。
江戸時代に飢饉があり全国的な米不足であったにも関わらず、酒田商人のみは大坂堂島に例年と同じ量、約束していただけの米を運び込んだことがあったらしい。
大坂では「酒田商人こそ頼みなる」と評判になったらしい。
商いをやるうえで信用というのはもっとも大事なものである。
この信用絶大の酒田商人について知りたいと思い訪れた。
しかし山居倉庫は明治になってから設置されたもの。
あまり関係はなかったが、思った以上に素晴らしい場所だった。