特大の三層櫓を天守の代わりとしていた。
天守閣は要塞としては中枢構造物であり、領主の館としては武威と威厳の象徴だった。
例えば尾張藩御三家筆頭六十二万石九千五百石と言われてピンとこない者であっても、名古屋城天守閣を見せれば、その巨大さを直感的に理解した筈である。壮麗な巨大な天守閣を持つことによって、幕府から「前田家覇気あり」と見られることを恐れた。
堅牢な城郭を作るよりも徳川家に疑念を抱かれず最大にして最良の藩屏と思われることが、前田家の安全保障政策だった。
古代の継体帝の如く英邁で覇気を有する君主があらわれ、百万石の声望と北陸の精兵を持って徳川家打倒に動く、というのは幕府にとっては悪夢である。
しかも長州や薩摩に比べれば、加賀は江戸からそう遠くはないのだ。
前田家の当主はあえて凡庸を装い、幕府から警戒されることを避けた者もいたそうだ。
兼六園をはじめ庭園はすばらしい。
が、途中から違和感を感じた。
庭園の池や小川に魚をはじめ、生き物がまったく棲み着いていない。
当然、鳥も来ない。
地下水と上水で水を賄っているらしい。
つまり兼六園の清き水に魚すまず。日本の庭園は自然を再現したものが多い。
そういった庭を日本人は好むのだ。
魚の棲みつかない池や小川はどれほど造作が素晴らしくても違和感がある。
写真で見る分には大変に美しい。
今風の言い方をすれば「インスタ映え」はするが、実際観るものにとっては物足りないものとなる。
生き物が棲みついていない点を除けば間違いなく素晴らしい。