〜さざなみのおおやしま〜

何でも「少なく、小さく、軽く」が身上のミニマリスト。GAFAMの犬。楽天経済圏の住人。<サラリーマンのテーゼ>について考える。

酒田短期大学顛末記


ネットのコピペ。
自分用の覚書。

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酒田短期大学@山形県酒田市 - 〜さざなみのおおやしま〜


[沿革]
1961年 学校法人林昌学園設立。
1966年 東北短期大学(とうほくたんきだいがく)開学。
1968年 酒田経済短期大学に改称。
1973年 酒田短期大学に改称。
1977年 入学定員を100名に縮小。
1982年 学校法人天真学園と合併して学校法人天真林昌学園を設立。
1986年 学校法人瑞穂学園設立。
1987年 経営を学校法人天真林昌学園から学校法人瑞穂学園に継承。共学から女子のみの募集となる。
1990年 再び共学となる。
2001年 留学生問題が発覚。
2002年10月 資金難で全教職員解雇。休校になる。
2003年1月 酒田労働基準監督署により倒産認定。
2003年3月 最後の卒業生6人が卒業。
2004年7月14日  文部科学省より学校法人瑞穂学園に対し私立学校法違反により解散命令

[中国人留学生は「宝」 大学・短大が受け入れ着々]
雑誌『AERA』2001年04月02日
年を追うごとに、受験生は減っていく。大学経営者は悩んでいる。定員を大きく割り込めば国からの補助金も減るからだ。さあどうする。これはもう中国からの留学生に頼るしかない、と私立酒田短大(山形県酒田市)が、学生募集の対象を海外へと大きくカジを切ったのは、去年春のことだった。開学から約四十年の歴史を持つこの学校で、元理事長らによる不明朗な借り入れが問題化し、いまの経営陣に運営が引き継がれたのが一九九九年七月。悪評が響いたためか、次の年の春に入学した日本人学生は定員百人に対し、推薦合格の九人だけだった。

現地からチャーター便
現経営陣はもともと、東京都内で別に日本語専門学校も経営し、かなりの中国人が学んでいる。中国とのつながりが以前からあり、生き残りのため本格的に学生を募るとき、それを中国に求めるのは、自然なことといえた。少子化が進み、日本人学生のパイは減る一方。そしてみんな有名校に行きたがる。ならば中国から優秀な人材を、と考えたわけです。私学が経営を成り立たせていくためには、自主努力が必要。と短大側はいう。縁のあった吉林(チーリン)、遼寧(リャオニン)、黒竜江(ヘイロンチアン)という東北三省の役所から協力を得て、役所内の「留学センター」を通じ、留学希望者を募った。 現地の試験では、日本語の能力試験と、「短大を出た後、四年制大学編入するのか大学院に進むのか、本人が明確な将来設計を持っているかどうか」を知るための面接を重視するという。入学時期は、日本人学生の場合は春だけだが、中国人留学生には春と秋の二回となるように学則を変えた。去年春は二十二人だった中国人留学生数は、秋には男女百二十四人。この春は、希望者約四百人に面接し、入国管理局などの審査を経て、最終的に二百四十四人に在留許可が出た。うち約五十人は東京、大阪などの日本語学校から。日本人の入学予定者は六人という。「留学予定者のうち、少なくとも二百人は来てくれるはず」と短大側は期待する。四月下旬の入国の際は、ハルビンから庄内空港までチャーター便を飛ばす予定だ。

中国人職員5人を採用
留学予定の学生は、平均して二十代前半から三十代前半。大多数が中国の大学を卒業後、働いていたという。入学前に払う初年度分の学費百二十万円は、中国ではかなりの高額だが、短大側は、中国には、一人の子供に六人の親がいる、という。本人の収入に加え両親と祖父母四人が助け合い学費を集めるケースが多い、といい、さらにこう話す。ウチは経済の単科短大で、留学生は、日本でビジネスを勉強して将来に役立てたい人ばかり。医大出身も十五人いる。水準が高い。留学生のため、この春、学生課に中国人職員を五人採用。市民にとけ込みやすくするために、短大が直々に、市内に二軒のラーメン店を開く。
(中略)
また一方で、定員の約一・五倍を上回る学生を採れば、これも補助金を失う可能性がある。経営サイドからすれば、この「上限」と「下限」の間で、どう入学者数を調整できるかがカギになる。

10万人計画はいまも
冒頭に登場した酒田短大は、この春、入学予定者が全員来れば、定員の約二・五倍が入学する計算になる。だがここの場合、前経営陣の時代から七年ほど、補助金をもらっておらず、補助金を待っていては、とても経営が成り立たないという事情がある。(後略)

[酒田短期大学留学生問題]
学校の定員の2倍を超える多数の中国人留学生を不法に受け入れ、学生ビザでの日本への労働目的の入国の足掛かりにさせた。留学生の多くは酒田には居住しておあらず、首都圏に居住し不法就労をしていた。そのことが引き金になり資金繰りが悪化、2002年に事実上廃校になった。運営する学校法人瑞穂学園に文部科学省が2004年に解散命令を出した。国所轄の学校法人への解散命令は初めてとなった。みずほ学園短期大学と改称して新学科を設立するという再建策が出されたが実現しなかった。この大学では、この数年前から入学者が激減し、一学年の定員が100人にもかかわらず、全校あわせて81人の学生しかいなかったとということ。そこで考え出したのが中国人留学生の入学。春と秋の2回、中国で選考を行い、その前の秋に140人、その春に226人の中国人を入学させたとのこと。その結果、当時は2学年で352人が在籍していたそうですが、うち339人が中国からの留学生だったようです。そして、10月から中国人265人が入学する予定でしたが、ここで仙台入国管理局から待ったがかかり、在留資格が認めらなくなります。つまり入学が不可能になったということ。その理由として先代入国管理局は「既に1学年の定員(100人)を超過しており、これから入学しても十分な就学活動ができるとは認められない」と定員の大幅超過を理由としています。しかし定員だけではなく、もっと問題となっていたことがありました。それは事実上ここが日本の学生ビザでの日本への労働目的の入国の足掛かりになってしまったことです。留学した生徒の多くは授業に出席せず、労働による賃金獲得を行っていたようです。地元で大学の用意した中華料理店で働く場合もあったようですが、多くは首都圏に赴き、首都圏の4年生大学編入のため、という理由付けがなされ、それをサポートするというか理由付けのためか、都内に授業を放映するサテライトスタジオを儲けていたとのこと。

[酒田短大で最後の6人卒業 存続のめどなく事実上の幕]
中国人留学生問題で揺れた酒田短期大学山形県酒田市)で14日、最後まで残っていた留学生6人が卒業、学生はいなくなった。今春の入学生もなく、短大存続のめどは立っていない。  酒田短大では一昨年12月、200人近い留学生の首都圏移住が発覚。今年1月に労働基準監督署が学校法人の倒産を認定して閉校状態に陥っており、この日の卒業式で事実上の「幕」が降ろされた。酒田市のホテルで非公開で行われた卒業式には、山形短大に編入した学生や、東京に引っ越したり、中国に帰国した留学生計5人のほか、昨年解雇された教職員28人が出席。  臨時学長代行を務めた佐々木裕造元教授は祝辞の中で「教育理念のない経営陣が起こした問題で、短大の歴史が幕を閉じようとしているのは、慚愧(ざんき)に堪えない」と一連の問題に触れた。