坂田郡大原村について
明治22年から昭和30年にかけて坂田郡大原村は存在した。
存在したが、現在は地名として残っておらず、僅かに駐在所、小学校などに残っているのみである。1300年ほどまえ、この地が開墾されたときにおおまかに「大原郷」と呼称され、後に「大原荘」となる。
室町時代に付近を治めた近江守護の京極氏の支族が大原氏を名乗った。
大原氏の城館の跡は「大原中村城跡」として米原市本市場に残る。明治22年、町村制の施行により、小田村・間田村・井之口村・村居田村・野一色村・烏脇村・坂口村・朝日村・下夫馬村・産所村・市場村・本市場村・天満村・池下村の区域をもって大原村が発足。
おそらく大原村警察署が大原警察官駐在所となったのであろう。
米原署の駐在所には昭和20年当時の村の名前が残っている。
同日大原村廃止。
大黒ラーメン本店@伏見区大黒町
最高のお店。
学生時代から四半世紀も通っている。
いつ行ってもうまい。
伏見に行った最後のシメは、いつもここ。
ほかに旨いもんいくらでもあるのに。
学生時代から通い続け、ツレもすっかり気に入り、大阪に行った帰りも高速途降りてよらしてもらう。
もう故郷の味も同然だ。
店主がラーメン作っている姿をみたことがない。
たぶん仕込みだけ。
いつもアツアツの醤油トンコツの京都ラーメン。
トッピングが冷くなくていい。
御香宮の名水を使用しているそうな。
チャーハンは毎回作ってくれる。
これもうまい。
たぶん塩胡椒とゴマ油のみの味付け。
薄味だが絶妙なバランス。
人気店ゆえに順番待ち、混雑、時として相席は避けられないが、不快と感じたことは一度もない。
伏見の人たちは街のルールをよくわかっているからだ。
ビールを飲んで盛り上がっているおっちゃん達もウエィテングが発生すると、おおこりゃいかんと言って席をたつ。
このお店は伏見の人たちの宝物のひとつ。
みんなで仲良く共有しなくては。
迷惑な客を見たことがない。
ラーメン店としては非常に清潔。
店主の奥さんらしき女性の明るくて目端の利いた接客もあり混雑が気にならない。
駐車場も有。
味がよくて安くて清潔で接客がよくて客筋もいい。
学生時代の友人はもう伏見にはいない。
住んでいたアパートはもうない。
でもここは20年前から変わらずにいてくれる。
ここに来ると「伏見に帰ってきたなぁ」と思う。
本当にありがとう。
最高のお店です。
これからも通い続けます。
とざわモモカミの里@最上郡戸沢村蔵岡
ずんずんと夏を流すや最上川
コリアンな雰囲気の道の駅。
ある時期に韓国籍の方が周辺に嫁入りされたことに由来するらしい。
成功しているかは微妙である。
最上川の峡谷部にコリアンな建物があることは、一見不可解である。
韓風の景色というには周辺の緑が強すぎるように思える。
轟々とした流れる最上川を眺める設えのほうがよいのではないか、と思える。
従来からあるもので十分に素晴らしい。
その見せ方を工夫するだけでよく、新奇なことで耳目を引く必要はない。
狭い峡谷部を流速の速い大河が流れるさまは、俳人たちの詩想を刺激するらしい。
附近の本合海という箇所で、多くの俳人が歌をつくっている。
圧倒的に有名なのは芭蕉の句だろう。
五月雨を 集めてはやし 最上川
急流最上川をよくあわらした子規と蕪村の句がある。
ずんずんと 夏を流すや 最上川(子規)
五月雨や 大河を前に 家二軒(蕪村)
黒々とした大きな蛇あるは竜が峡谷を這うような河の流れは素晴らしい。
谷間に見える夏の青空と「夏を流す」かのように流れる最上川。
雨の日は河の轟音が自然の力の凄まじさと人間の無力さ、つまり「大河を前に家二軒を」を感じさせる。
ことほど左様に近辺の風景は素晴らしいのだ。
山形の人たちは、自分たちが持っているものの素晴らしさを過小に評価するか、第三者に説明することを諦めていることが多いように思える。
「山形にいいものはあるが、宣伝が下手で」と自嘲気味あるいは諦め気味におっしゃる方が多い。
第三者に喧伝するためには、自らがその対象の価値を信じきらなくてはならない。
おそらく山形の人達はこういったある種の「傲慢さ」からは程遠い方が多いように思える。
自分のところにいいものがあるなら、よそにもそれはあるだろう、あるいはそれ以上のものがあるだろう、と考えてしまうのが山形の人たちの意識の底にあるように思える。
「野暮で誠実」な県民性ゆえに仕方がないことかもしれない。
謙虚で控えめ、自らの考えや行動に懐疑的、他人をよく気遣い、いい意味で正直即ち誠実、悪い意味でも正直即ち野暮という、彼らの美徳と分かちがたく結びついている欠点であり、致し方ないのかもしれない。
軽快で洒脱で万事にソツがなく弁舌爽やか、などという山形の人を見たことがないないし、実際そういう方がいたら気味悪く感じるか、山形の人というのがウソではないか、と思ってしまうだろう。
「失礼ですが生まれは何処ですか?山形ですか、、、。では失礼ですがご両親はどちらの出で。」
なんて尋いてしまいそうである。
そんなことを思って少し可笑しかった。
余計なことかもしれないが、関東では山形といえば「田舎」の代名詞のように思われるむきがあるように思える。
しかし関西では驚くほどイメージがいいということをお伝えしたい。
関西人の大好物の牛肉を含めて食べ物がおいしい。
関西の高級スーパーイカリスーパーには普通に庄内米が置いている。
その他山形牛、山形の果物およびこれをつかったスィーツ。
関西にあまりない良質の温泉が至る所に湧き出している。
風景を構成するひとつひとつのものが雄大。
人は素朴で親切で誠実。
まさにアルカディアに思えるのである。
山形から大阪に出てきた知人は、当初、訛りを直そうとがんばっていたが、十年を経ていまは山形のアクセントに戻ってしまった。
自営業の彼にすれば山形のアクセントと言葉で話していたほうが、周りがよく覚えてくれて親しみをもってくれるらしい。
学生時代を含めて訛っていることで嫌な思いをしたことは一切なかった、むしろ周りの関西人たちは「それ、ええなぁー。」と面白がってくれたらしい。
今では「おお、あの山形の人か。素朴で正直そうなひとやな」と思ってもらえるらしい。
ビジネス山形弁か!
本来の名前とまったく関係なく「ヤマちゃん、ヤマちゃん」とみんなに可愛がられている。
山を背にして水を前面に置くように建てるという韓屋風の建物と、最上川の間で考えたことである。
光明院@米原市加勢野
菜の花心療クリニック@彦根市大東町
半年ほど糖尿内科でお世話になっている。
小躍りした。
半年ほど通院しているが受け付けのかたが冷たいと感じたことはない。
むしろほかのお医者さんよりテキパキとソツなく親切とかんじる。
ただ人気のクリニックのため電話対応など忙しそうである。
大きくない医院のため増員も難しいそうである。
待合室でたまに椅子が足りないことがあるほど。
信頼できるクリニックである証拠であろう。
イノダコーヒ三条支店@中京区桝野町
奥にあるドーナツカウンターの席をいつも利用しています。
繁華な場所に近いが、本店が近くにあるので観光や一見さんは少ない。
まさに京都の日常。
飲食に加え、コーヒー豆等の物販もあります。
いつもインスタントのブルマンを購入しています。
90(45杯分)グラムで2千円以上と高額だが、大変においしい。
普通のドリップコーヒーよりもおいしい。
仕事場で愛飲しています。
河原町周辺をぐるぐると歩き疲れ、御池の市営駐車場に戻る前にこちらに寄ります。
街歩きに疲れた体に沁み入るコーヒーは格別においしい。
ここに来てコーヒーを飲むたびに、コーヒーというのは非常に美味しい飲み物だとしみじみと思います。
イノダさんのコーヒは酸味の少ない「アラビアの真珠」という独自焙煎の豆をもとにいれています。
これを濃いめにいれて、砂糖とミルクをたっぷり入れるのがイノダコーヒのスタンダード。
酸味がすくないのですっきりした味です。
わたしはあまりコーヒーは詳しくないのですが、コーヒーって飲むとお腹の調子が悪くなったります。
でもイノダさんのコーヒーだとお腹の調子が悪くなりません。
きっと酸味が少ないからだと思います。
酸味の少ない濃いめのコーヒーに砂糖・ミルクをたっぷり入れて飲むのが京都スタイル。
京都の朝は、これを飲んでスイッチ・オン、という話を聞いたことがあります。
戦前からの京都の流儀。
深入りコーヒーを使ったなんちゃらラテなんてものが日本に定着するより半世紀以上前から、よく似た飲み方をしていたことになります。
現在でも京都の人たちは、全国屈指のコーヒーの愛飲家達です。
カフェ、バリスタなんていう流行りのお仕着せがましく座りの悪い言葉は、この街には似合わいません。
そんな言葉が流布する遥か前からこのお店は京都三条通にあり、すっかり街に馴染んでいました。
三条通は寺町より西はそれほど人が行き交う場所でも、流行りのお店が立地する場所でもなかったです。
YMCA会館周辺は夜は寂しくて暗い場所でした。
最近は行き交う人々が増え、東京風の「てらいもない」お店が増えたように思ます。
しかしこのお店はずっと変わりません。
本店以上に変わらない雰囲気だ。
本店は火事でやけてしまってピカピカに新しくなってしまったし、観光客が多くなり、高田渡が唱った頃とは、雰囲気が変わってしまいました。残念です。
イノダコーヒはどこの店も、指定しないと砂糖・ミルク入りコーヒーが提供されていました。
いまは「砂糖・ミルク入れてもよろしいですか」と控えめに尋ねてきます。
「砂糖・ミルクいかがいたしましょう」と聞かないところに矜持を感じます。
「入れてもよろしいですか」は京都のお店らしい控えめな表現で、その心は「ここでは砂糖・ミルクを入れて飲むのが当然なのだが」ということです。
それでは押し付けがましいということで、「よろしいですか」という控えめな表現になるのだと思います。
これが時として「腹黒い」と誤解をうける京都人の心遣い。
言葉がそのままではなくて、いろいろな意味が入っていて暗号のようだ。
これを読み解けない人間は京都人は裏表がある、と揶揄します。
しかしそれは婉曲表現。
最近の若い人が使う「大丈夫です」という断り文句と同じ。
表面上は否定していないけど、中身は否定。
相手方を気遣った結果の表現。
これもイノダが京都を代表する喫茶店として有名になり、全国から人が来るようになったからでしょうね。
素敵で確たる伝統と流儀があるけど、ふんぞり返ることもなく包容力に富んだこのお店が、全国の人々に知れることは喜ばしいこと。
京都喫茶店という独自のジャンルがあるぐらいなので、当然といえば当然。
四半世紀も前にインスタントコーヒーしか飲んだことのなかったわたしに、素敵な流儀を教えてくれたように、多くの人々に京都の喫茶店文化を伝えてくれれば、なおいいことだと思います。
みなさんもイノダコーヒに砂糖とミルクたっぷりいれて、京都の朝のスイッチオンはいかがですが?
総本家駿河屋 伏見本舗@伏見区下油掛町〜秀吉や大名達が愛した煉羊〜
羹煉羊羹発祥の店とされる老舗の和菓子店。
分家や暖簾分けによる店も多数存在。
1461年、山城国伏見舟戸の庄で饅頭屋を開いたのが始まり。
創業500年を超えていることになる。伏見開府に伴い伏見京町に移る。
秀吉の大茶会で引き出物として煉羊羹が配られ、評判を得たという。
「駿河屋」の屋号はこのことに因むのではないか。
駿河出身の商人が伏見に進出したわけではなさそうだ。
その後、伏見の駿河屋は堅実な経営を続けて現在に至る。
ただ紀州・和歌山の分家がなかなか困った分家だったようだ。
伏見の本家は所有地を売却(現在はマンションになっている)などして、分家を助けたが、最終的には和歌山駿河屋は破産。
民事再生を行ったようである。
最近、人気のテレビ番組(ぶらタモリ)で取り上げられ、お客さんが増えたようである。
やはり伏見は「意外とすごい」ものがたくさんある土地だ。
羊羹は当然うまい。
伏見のお土産などにいかがだろうか。
伏見駿河屋本店@伏見区下油掛町
1781年、伏見港の畔に諸国大名の乗合待合所として総本家駿河屋より分家開業。
和菓子の素晴らしさは言うに及ばすである。
伏見の地で二百年以上も商売を続けるというのは容易ではない。
いつも驚くほどに繊細で美味しい。
そして美しい和菓子である。
さすが伏見の老舗和菓子店であると思う。
洋菓子も扱っている。実はこのお店は奥に工場があり、洋菓子もそこで作っているとのこと。
こちらも評判がよい。
最近では竹田街道側でみたらし団子を売っている。
伏見散歩の途中に何気に買い求めた。
駿河屋さんのみたらしなら間違いないだろうと。
かじりながら伏見桃山病院前を歩いた。
少し寒い日だったこともあり、やわらかい団子のうえにアツアツのみたらしは大変においしかった。
いいおじさんが団子をかじりながら歩くというのは、少し行儀が悪いなと思えたが、大変に気分がよかった。
我が愛する街伏見の自慢の和菓子店である。
山一パン総本店ムーラン墨染店@伏見区墨染町
京都で愛される町のパン屋さん「ムーラン」の墨染店。
地元の人々に愛されている。
生クリームと発酵乳の「おいしい食パン」や、外カリ・中ふわの羽根付きクリームパン、昔ながらのあんぱんなどが人気。
個人的にはシナモンロール150円ぐらいが大好き。
コーヒーにも紅茶にも合う。
2階にカフェを併設しており、1階で販売するパンはもちろん、ランチや軽食、サンドイッチなどのイートインも可能。