〜さざなみのおおやしま〜

何でも「少なく、小さく、軽く」が身上のミニマリスト。GAFAMの犬。楽天経済圏の住人。<サラリーマンのテーゼ>について考える。

ドンク北白川店@左京区北白川山田町

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パンは当然おいしい。
テイクアウト、イートインの両方可能。
店の裏側に駐車場がるのでアクセスしやすい。
店内は天井が高く気持ちがいい。
 

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大きな窓から白川通の街路樹が見える。
お紅茶とクロワッサンをいただく。
もう最高。
エリア的に客筋もよい。
私立小学校に通っているお子さんとお母さんがいたが、学校指定の子供のバックが真三郎帆布だった。
福井ナンバーの高級車に乗ってきたおっちゃんとおばちゃんは、食パンを大量に買っていた。
いい雰囲気のいいお店。

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自分でフランスパンとか作れたらいいなぁ、、って思う。
 
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朝妻港跡@米原市朝妻筑摩

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朝妻湊は古代から東海・北陸地方の人の行き来や荷物の運搬など、湖上交通の要港として発展。奈良時代には朝廷の台所である大膳職御厨が置かれ、北近江、美濃、飛騨、信濃などの諸国から朝廷に献上される品物や税、それに木材や食料などが集積され、大津や坂本などの湊を目指して多くの船が行き交っていた。
 
平安時代末期、木曽義仲の後続部隊の出陣時にも朝妻湊を経て戦地に向かった。
秀吉が京の大仏殿建立の際、尾張や美濃から木材を運搬し、重要な役割を果した。
江戸時代に入り彦根藩米原湊を御用港として保護するのを境に、それまで行なわれていた湖上交通は制限、港のにぎやかさは影をひそめた。今では朝妻湊跡の石碑、港内に敷き詰められた石畳が、当時を偲ぶものとして残っている。現在はバス釣りなどにくる他府県ナンバーの車が多い。
地元民の名誉のためにあえて書くが記念碑前のゴミはビジターが置いたものである。
あの近江の人が自らの故郷を汚すような真似をするとは、わたしにはとても思えない。

うろこや総本店@尾花沢市尾花沢

よきに似よ あしきになよ 世の鍋の 人の心は自在なりけり
 
1684年創業の老舗。初代・戸田安右衛門は近江から出羽に降るときに、千手観音(現在は山形県有形文化財に指定)を背負ってきという近江人らしいエピソードも持つ。
現在でも「始末第一」「質素倹約」という近江商人の理念を商いの基本としている。
 
山形には意外と近江にルーツももつ老舗が多い。有名な地酒「出羽桜」の蔵元も近江商人を祖とするらしい。
山形のお漬物「おみづけ」は「近江漬け」であり、山形の人々が捨てていた青菜の派の部分や野菜の切れ端すら捨てずに組み合わせた近江商人の「始末第一」の凄みを感じさせるもの。
山形の人々は現在でも「おみづけ」を非常に愛している。
お金のことを「じぇに、じぇね」(ゼニが訛ったもの)、いくらのことを「なんぼ?」と聞くのは近江商人はじめ上方の影響だと聞いたこともある。
 
戸田家・うろこやは内陸河川港のあった大石田で商売を拡大した。
二度の大火により打撃を受け、菓子の小売へ参入。
後に飲食店経営にも参加するなど、複合経営によるリスク分散により商いを継続してきた。
1970年代に一転して製菓業及び販売に経営資源を集中。
現在はベーカリーのお店を含めて5店舗を展開している。
 
山形の方に手土産にもっていく場合はこちらのお菓子がよろしいかと。
ずんだ大福は間違いのない一品。うまい!
重さもあるので丁度いい。

醒ヶ井駅@米原市醒井

滋賀県にあるがJR東海の駅。
2020年1月現在では、ここまでがトイカ のエリアで隣の米原はトイカ のエリア外ということになる。
米原駅までエリア拡大の予定はあるそうである。
 
昔は広めの無料駐車場があり、駅利用者や醒ヶ井宿の観光や散策にも利用できた。
しかし2019年に有料駐車場となった。
地元は柏原駅近江長岡駅醒ヶ井駅の自動改札化をJR東海に要望していた。
イカ交通系マネーに対応すること、自動改札化されたのと引き換えに、駐車場が有料化。
と勘繰ってしまいたくなる。
 
彦根に住んでいる知り合いが、名古屋方面へ電車で向かう場合、必ず米原で乗り換えが発生することに不自由を感じていた。
そこで彼は車で醒ヶ井駅まできて、ここから名古屋方面への電車に乗っていた。
大変都合がよいとご満悦だったが、昨年からこれができなくなった!と怒っていた。

新疋田駅@敦賀市疋田

北陸線の駅。
北陸本線付け替えにより設置。
旧線には疋田駅が設置されていた。
新疋田駅と疋田駅は併存して営業していた期間がある。
周辺地域の人口減少が著しく、現在は無人駅。平日はおそらく10~20人程度の利用客。
土日には様子が変わる。
 
40台程度のキャパシティの駐車場は満車。
パークアンドライドで主に関西方面へ行く人たちが利用している。

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2006年に周辺の木之本~敦賀間の北陸線が電化。県境付近の無人駅が、JR西アーバンネットワーク内の駅となった。
現在は、新快速・乗換無しで京阪神まで行くことが可能。加えて当駅の駐車場は無料。
敦賀より新疋田で乗ったほうがいいだろう。疋田だけでなく刀根などを含む「愛発」駅への変更要望がある。
ヤマト朝廷が設けた三関のひとつ「愛発関」がこのあたりに置かれたことに由来する。
愛発関をこえれば、そこはコシ(越)の国である。
敦賀は嶺南ではあるが、若狭ではなく越前だ。国道161号線を挟んだ向かい側の高台に宅地開発された場所がある。
鉄道通勤客を見込んだ宅地開発だろう。
開発から20年程度はたっている。
空家や更地に戻された区画もあり、結果は芳しいものではなかったようだ。

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醒井水の宿駅みゆき@米原市醒井

新・日本名水百選のトップ当選の場所に立つ水の駅。
むかしからここで水を汲んでいた。
コーヒー、紅茶、緑茶に入れるとうまい。
ご飯を炊いてもおいしい。
そのまま飲んでも当然うまい。
ひっそりとしているのがまた風情でいい。
実家から引き取った飼い猫は、実家にいるころは山の湧水を飲んでいた。
自分の家に引き取ってからは水道水ばかりだったので、湧水なつかしかろうと醒井の水を与えてみた。
すごい勢いで飲んで寝床に戻って満足そうな顔をしてた。
しばらくしたら思い出したように起き上がって水を飲みにいく。
それを4回繰り返した。
冷たいうちにたくさん飲んだものだからお腹壊してしまった。。。。
猫にもわかるおいしさということだろう。
水を汲めるほか、フードコート方式で食事を取る場所、バイキング、地元の名産や野菜の販売所がある。
おそらく指定管理者制度で管理者が変わって、少し雰囲気が変わってしまったので残念だ。

醒ヶ井宿@米原市醒ヶ井

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旧八代食料品店。現在は閉店。


醒井宿は中山道61番目の宿場だった。
豊富な湧水がに恵まれていた。
清冽な水は旅人の疲れを癒した。
今も地蔵川の清らかな流れが町を潤していて、人々の生活に結びついている。
かつて毎週末のように近江を訪れていた頃、醒井宿で必ず休憩をしていた。
湧水のながれが美しく、街道の風情をよく残していた。
私の胸は踊った。ああ大好きな近江にきたのだな、と実感できる場所だった。
八代食料品店(現在は閉業)の前で桜の花の下に日本猫、地蔵川醒井大橋を一つの風景として見た時には、偶然の道具立ての素晴らしさに息を飲んだ。
ああ故郷がこのような風景であったらさぞや懐かしいだろう、と。
ほかのどこにもない素晴らしい場所だ。

この素晴らしく美しい場所を保ってくれてありがとう。

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旧坂田郡醒井村について

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明治22年、一色村・醒井村・枝折村・上丹生村・下丹生村・榑ヶ畑村の区域をもって発足。
昭和31年、息郷村・米原町と合併し、改めて米原町が発足。
同日醒井村廃止。
さらに米原町伊吹町山東町、近江町と合併し現在の米原市となる。
今でも米原警察署醒井警察官駐在所が残る。
醒井村の警察署がそのまま駐在所になったのではないか。
米原署の他の駐在所も昭和20年頃の村単位で設置されているようだ。
戦前の国家警察への反省からGHQは、これを解体。自治体警察とした。
米国の保安官制度に倣ったのだろう。
占領終了後、あまりにも弱体化しすぎたとして都道府県単位に再編された。

パッサージュ納屋町(納屋町商店街)@伏見区納屋町

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パリのアーケード「パッサージュ」をイメージしてデザインされたアーケードを持つ商店街。

「パッサージュ納屋町五番街」という愛称を持つが正直、定着はしていないようだ。

納屋町商店街の歴史は古く、豊臣秀吉伏見城築城と同時、伏見開府に遡る。

400年以上の歴史があるということになる。

納屋町は規模は小さいが、かつては洛中の錦市場に擬され、「伏見の台所」と呼ばれた。

八百屋、魚屋などの食料品店や生活雑貨店が多く、買い物客で賑わった商店街である。

平成一桁の頃の大手筋界隈にではまだ、「食料品は納屋町で買うと安い」といった評判があった。

当時は長崎屋があったが、衣料品を中心とする珍しい総合スーパーだった。

食品を扱う店が多かった納屋町では競合することが少ない業種であった。

長崎屋でCDやバック買うついでに、納屋町で買い物ということもあり共存関係だった。

長崎屋の跡地は現在は大きなマンションになっている。

平成の後半から空き店舗で目立ち始め、シャッター通りの様相を呈していた。

現在は空き店舗に飲食店が立地しはじめた。

現在、同商店街で最も有名なお店はササキパンさんだろう。

最近はちょっとハヤイ感じの個性的なお店が新規出店している。

おそらく戦前から続く川魚や八百屋、漬物店のとなりに、オシャレなバルやバーという多様さこそが伏見らしく、大手筋界隈らしくていい。

この街に仕掛人はいらない。

多用な個人や団体の一見無秩序な集積と協調こそが、この街を魅力的にし、活力をうみだし、衰退することになく400年以上の命脈を保つ街としてきた。

納屋町商店街はいろいろと集客のためのイベントもやっていることが成功しつつある。

報道によるとラーメン店が数店舗まとまって進出する予定があるらしい。

復活をとげつつあるということだろう。

今後も楽しみである。

旧坂田郡菅江村について

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菅江とかいて「すえ」と発する。
琵琶湖からも離れた字名に江が入るのは、いかにも奇妙である。
 
調べると菅江には須恵器の窯跡跡の遺跡があるとのこと。
須恵器は陶器と区別するため敢えて須恵と表記されている。
陶はスエとも読めるのである。
付近の横山丘陵にも須恵器の窯跡があり、この近辺はかつて須恵器の一大生産地だったとのこと。
 
須恵あるいは陶が菅江と変わり、現在の地名となったのではないか。
そう考えれば、この地の大字名に江が入ることも説明がつく。

パロマ@高島市今津町中沼

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人気の「イタリアンスパゲティ」
やはり今津は飯が旨い!
イタリアンスパゲティが人気。
鉄板の上に乗ってくるのでアツアツでよい。大変美味しかった。
開口部は大きいが緑に囲まれているのでよい。
全体としては昭和の喫茶店的雰囲気で居心地がよい。
初めて訪れたときにお店の方が
「その席はちょっと暑いですよ、あちらの席のほうが涼しいですがいかがですか?」
と促してくれた。ありがたい。
福井に行くことが多く、敦賀などでいいご飯屋がないか随分探した。
 
結論としては、福井に行く前に今津によって飯を食うか、福井から今津まで戻ってきて飯を食う、というのがベストとの結論に達した。
このお店も今津で寄りたいお店のひとつとなった。

子らく園@伏見区東柳町

蓬莱橋の近く
中書島側にある小さい公園
「子らく園」とは児童公園にしては珍しい名前だ。
近所には2年しかなかった「伏見市」時代のモニュメントがある。
伏見市時代に付近の河川を改修したとのこと。
同時期に整備されたのだろうか。
そうなると戦前の話で「子らく園」という名前も納得できる。
小さい公園だが、子供が多い。
施設構成をみても最近多くなったシニアのための公園ではない。
滑り台のったら2歳の子供が吹っ飛んだ!ことがあるらしい。
鷹揚に受け入れられているのが伏見のよさだろう。

定楽寺@米原市夫馬

かつて曠世学校(明治9.10.1)があった場所。
講堂を学校として使用していたものと思われる。
曠世学校が現在の米原市立大原小学校の起源のひとつ。
現在の上夫馬村、下夫馬村の子供たちが通っていたらしい。
上夫馬村は現在の米原市朝日の一部。
観音寺村と合併し朝日村となったという。
山門は小堀遠州由来の小室陣屋の門を移築したものと伝わっている。

ヨーロッパ軒 金山店@敦賀市金山

敦賀のやや郊外にあるのでアクセスしやすい。
雰囲気は昭和な感じ。
カツ丼はフツーに美味い。
意外とお味噌汁、漬物、ご飯がうまい。
当然カツも旨い。
あまり厚切りではなく自分の好きなトンカツだ。
敦賀にいってヨーロッパ軒行きたいときは、ここに行く。

井筒屋工場店@米原市下多良二丁目

じつは工場でもお弁当が買えます。
米原駅の西口にあります。お弁当はどれもおいしいです。
ここで弁当買って花見とかピクニックに使ってます。
あとサッカーをテレビで観戦するときとか。
ヨメもサッカー好きなんで集中して観れるのでいいそうです。