〜さざなみのおおやしま〜

何でも「少なく、小さく、軽く」が身上のミニマリスト。GAFAMの犬。楽天経済圏の住人。<サラリーマンのテーゼ>について考える。

日本の道~The Long and Widing Road~より


日本の道~The Long and Widing Road~ 国道303号

国道303号 
起点 岐阜県岐阜市 
終点 福井県遠敷郡上中町 
延長 134.1km 
重要な経過地
岐阜県本巣郡北方町 同郡糸貫町 同県揖斐郡揖斐川町 同郡藤橋村 
滋賀県伊香郡木之本町 同郡西浅井町 同県高島郡マキノ町 同郡今津町 
指定区間 なし 

国道303号の八草峠付近10kmはトンネル工事に伴って通行止めとなっている。自己責任の範囲ならば岐阜県より峠までの通行は可能であるものの,落石,倒木がひどく補修などは一切施されていない。峠には国道開通碑があり苦難の末に開通した地元の人々の喜びが感じられる。一方で建設中の八草トンネルは貫通しているものの前後のアプローチ道路の整備を残すのみとなっており,まだしばらくは工期が続きそうだ。

古くから美濃より近江へ抜ける交通路であった。毎月8月末の木之本地蔵縁日のため村を上げての整備が行われていたようである。明治23年に改修し揖斐-東横山間が北山街道として呼ばれるようになる。27年には西横山から広瀬を経由し川上までの坂内街道が整備される。横山までは県道岐阜揖斐線および揖斐高月停車場線として大正9年に認定される。昭和22年,川上から八草峠を経て滋賀県杉野村までのルートは坂内村,杉野村の双方から林道として整備が進められたが途中で放棄。坂内村の人々は炭焼きなどを主生計としていたが,仕事を片手間に林道開削工事を自発的に行い,昭和26年に開通させた。昭和45年5月に国道303号岐阜木之本線として承認された。それに伴い揖斐川から横山までは横山ダム建設に伴って新北山トンネル,久瀬トンネル,名倉トンネル,樫原トンネル,椿井のトンネルを含む区間の整備が昭和45年より開始され昭和61年まで続けられた。

参考文献
 藤橋村史 藤橋村,1982
 岐阜県道路史 岐阜県土木部,1992 




滋賀県のホームページ(現在は該当ページは削除されている)より抜粋】
現在行っている国道303号バイパス工事のうち八草トンネルが平成13年に開通するまでは、国道303号がこの峠を通っていました。昭和25年にできた八草林道が県道となり、昭和43年に国道に昇格したものです。幾重もの山並みにへだてられた北近江と西美濃でしたが、今日考えられる以上に交流は活発だったようです。婚姻による人の交流をはじめ、炭、薬草、楮(こうぞ:美濃紙の原料)等の物資、情報、文化、あらゆる面で強い結びつきが認められます。山を生業(なりわい)とする人々にとって山並みはへだたりではなかったようです

『日本の道』より抜粋http://japan.road.jp/
古くから美濃より近江へ抜ける交通路であった.毎年8月末の木之本地蔵縁日のため村を上げての整備が行われていたようである.明治23年に改修し揖斐-東横山間が北山街道として呼ばれるようになる.27年には西横山から広瀬を経由し川上までの坂内街道が整備される.横山までは県道岐阜揖斐線および揖斐高月停車場線として大正9年に認定される.昭和22年,川上から八草峠を経て滋賀県杉野村までのルートは坂内村,杉野村の双方から林道として整備が進められたが途中で放棄.坂内村の人々は炭焼きなどを主生計としていたが,仕事を片手間に林道開削工事を自発的に行い,昭和26年に開通させた.昭和45年5月に国道303号岐阜木之本線として承認された.それに伴い揖斐川から横山までは横山ダム建設に伴って新北山トンネル,久瀬トンネル,名倉トンネル,樫原トンネル,椿井のトンネルを含む区間の整備が昭和45年より開始され昭和61年まで続けられた.