〜さざなみのおおやしま〜

何でも「少なく、小さく、軽く」が身上のミニマリスト。GAFAMの犬。楽天経済圏の住人。<サラリーマンのテーゼ>について考える。

伏見桃山城@伏見区桃山


更科や雄島の月もよそならん ただ伏見江の秋の夕暮れ
 
桃山丘陵上にあるので、京滋BP、京都高速、国道24号といろんなところから望めることができる。
このお城を見ると「伏見というのは京都とは別だての街なのだな」と思う。
酒蔵、伏見港と並ぶ伏見のシンボル。
 
現在の天守閣は四代目。
昭和30年代に近鉄の子会社経営の「伏見桃山キャッスルランド」のランドマークだった。
外観復元のコンクリート造り。
博物館的な展示をしていた。
平成15年にキャッスルランドは閉園、四代目天守閣は取毀し予定だったが、住民の反対運動より撤回。
コンクリートの外観復元ではあるが、既に伏見の風景の一部となっていた。
伏見の人間にすれば見馴れた風景が変わることは寂しい。
キャッスルランド跡地は運動公園として整備された。
耐震構造上、天守閣への立ち入りはできないが、映画等のロケーションに重宝されているらしい。
 
春には多くの桜が咲く。
あまり知られていないが、実は数ある京都の桜の名所でもトップクラスではいかと思う。
洛中ではないため、観光客の喧騒は及んでいない。
公園は広々としていて混雑は少ない。
円山公園はじめ京都の桜名所まで出ていって、観光客を疎ましく思いながら汲々と花見をする必要もない。
京都まで行かなくても、伏見で充分だ。
近鉄桃山駅、京阪伏見桃山駅から徒歩15分程度、JR桃山駅から徒歩10分程度。
 
初代伏見城(秀吉築城)は地震で倒壊、二代目伏見城(秀吉築城)は関ヶ原の戦の前哨戦で消失。
三代目伏見城(家康築城)は徳川家光征夷大将軍宣下の儀を最後に破却され、構造物は各地へ移築された。
安土桃山時代の「桃山」はこのお城に由来する。
 
国史の教科書に記載されているお城があり、その付近には明治帝が眠る桃山御陵山麓はアップタウンお屋敷も散見される住宅街桃山地区、国道24号より西のさらに低いところはダウンタウンの伏見大手筋界隈、酒造の街、いちばん低いところが伏見港。
伏見はひとつ街に必要なものがワンセットそろっている。
 
伏見よりも独自の歴史とアイデンティティーを持つ街は少ない。
貴族の別荘地、日本の首府・豊臣政権の城下町、水運の街、酒造の街と変遷しながらも日本でも歴史ある街となった伏見は「意外とすごい」と思わせるものが多い。
「京都郊外の住宅地」といしてこの街を見るのは誤りだ。
やはり伏見は面白い土地だ。僕は勝手に「伏見ワンダーランド」と呼んでいる。
 
私は伏見という街が大好きで、住んだことも含め四半世紀もこの街に通っている。
我が愛する不死身の街は寂れることがない。当然、街はちょっとずつ変わっていくが、雰囲気はずっと変わらない。
ありがたい。秀吉さんも、伏見が大好きだったと思う。
月の名所として名高い松島や更級よりも、巨椋池(かつて秀吉伏見城の南にあった)に映る月のほうが美しいのだと、歌に詠んでいる。
秀吉さんは長浜、伏見、大坂と自分がこしらえた町を大変愛した人だ。 
そしてこれらの街の人達も未だに秀吉さんを愛している。
活気に溢れた気さくなこの街を残してくれてありがとう、とお礼を是非いいたい。僕は伏見という街が大好きだ。
 
かつての巨椋池の上を走る京滋バイパスを走って自宅に帰るとき、いつも拝むような気持ちで眺めている。
 愛する伏見のご本尊のようなものだと思っている。
 
永らく維持・保存してほしい。