〜さざなみのおおやしま〜

何でも「少なく、小さく、軽く」が身上のミニマリスト。GAFAMの犬。楽天経済圏の住人。<サラリーマンのテーゼ>について考える。

桃山御陵前駅の物語〜伏見商人、奔る。〜


桃山御陵前駅は奈良電鉄の駅として昭和初期に開業。
高架駅である。
高架路線として計画されたが、陸軍が機密保持を理由として地下鉄化を強く要請した。
しかし地下鉄用隧道を掘削すれば地下水脈が枯れてしまう危険性があった。
伏見は古くは「伏水」と表わされ伏流水が湧き出す場所である。
良質な飲料水の確保が容易だったことから人が集まり、酒造業が興った。
 
湧き水(井戸水)を絶たれると、伏見の街は死に体になってしまう。
上水を絶たれては、愛するこの街に住み続けることはできない。
原料用水を地下水に依存している伏見の酒造業も立ち行かなくなる。
 
伏見にとって、慶長の大地震伏見城破却、鳥羽伏見戦災に続いて訪れた大きな試練。
しかし、不死身の町・伏見の町衆達はごく自然体で不屈だった。
 
酒造業者は大小を問わず一丸となって運動を展開。
鳥羽伏見の戦災で、蔵元がわずか二軒となったとき、被災蔵元の醸造を分担して助け、他産地から酒造株を買い取って生産を維持した。
既に大きな試練を乗り越えていた伏見商人たちは、試練へ打ち克つ戦術を知っていた。
団結こそが最高の戦術だった。
そして同業者の団結はどこよりも固かった。
伏見商人たちは稼業と街を守るため、奔走する。
 
陸軍、鉄道省、大蔵省に高架案支援要請運動を展開。
同時に京都帝国大学地質学教室の松原厚教授に大規模な地下水脈の調査を依頼し、地下鉄用隧道掘削による「水枯れ」の危険性を学術的に証明した。
当時、我が国の税収において酒税が大きな割合を占めており、大酒造業者の多い伏見酒造組合の要望を、国も無下に却下することはできなかった。
日露戦争において陸軍が活動できたのは酒税のお陰というわけだ。
 
奈良電鉄は、当初の計画どおり「高架鉄道」として敷設されることにななる。
新聞は「コサック騎兵を打ち負かした帝国陸軍に伏見の商人が勝った」と持て囃した。
 
現在でも伏見は酒造業の盛んな地であり、全国トップ10社のうち3社(宝、月桂冠、黄桜)が伏見の酒造業者である。
奈良電鉄問題の時に活躍した伏見酒造組合は
大酒造業者から中小酒造業者、創業400年のから戦後に新規参入した業者とメンバーシップは多様。同調圧力の極めて低い組織であり、進取の気風に富む企業を抱えている。しかし自主的に協調的な行動を行うことも多い、極めて都会的な気風をもった組合である
 
という評価が学術論文に記載されている。
 
伏見酒造組合への評価は、そのまま伏見という街への評価でもあるように思える。