二十年程前になるが、寺町京極によく行っていた。
新京極は観光地化されており、つまらなかった。
当時の寺町京極は面白い個人商店がいくつかあった。
街歩きに疲れてこちらに寄ったことがある。
当時は何とも思わなかった。
ちょっとレトロだな、と思ったが、京都ではさほど珍しいことでもなかった。
懐かしくなって訪れようとしたが、行列ができている。何事??
いつの間にか有名店、観光客が訪れるような有名店になったらしい。
そういえば寺町京極や三条通りもテライもないお店が増えたように思える。
全国の至るところから「街の喫茶店」がなくなっている。
高校時代恩師に連れていってもらった喫茶店も廃業していた。
県庁所在地の繁華街にある有名店だった。
「喫茶店」は斜陽産業になってしまったようだ。
代わって興隆したのがファーストフード、ファミレスに加えてシアトル系の「コーヒーストア」、喫茶店の亜種ともいえるカフェ。
かつての個人経営の喫茶店は悪い意味でも「ゆるい」部分があった。
この「ゆるさ」故に生き残れなかったのだ。
京都は多くの観光客にとって、「自分が住んでいる街よりも大きな街」だ。
寺社仏閣のみならず、街的な楽しみのコンテンツが豊富だ。
地元ではお目にかかれない上等な消費財や、エッジの効いた珍しく洗練されたお店に溢れている。
そして個人経営の悪い意味での「ゆるさ」もないように「進化」している。
このかつては至るところでみかけてたが現在はなかなかお目にかかれない喫茶店、
これを目掛けて全国から人が集まっているのではないか。
加えてスマート珈琲は文学作品や有名人が贔屓にしていたという「物語」を伴っている。
お気に入りの喫茶店に向かう途中、スマート珈琲の行列を横目に見ながら考えてことである。