〜さざなみのおおやしま〜

何でも「少なく、小さく、軽く」が身上のミニマリスト。GAFAMの犬。楽天経済圏の住人。<サラリーマンのテーゼ>について考える。

京うどん生蕎麦おかきた@左京区御所八幡町


友達に京都が好きな方がいた。
滋賀の方にしてはめずらしく京都観光が好きとのこと。
 
僕 どっか飯うまいところあります?」
友 おかきたってうどん屋さんがおいしいわよ。
  お店に入った瞬間にお出汁のにおいがふわーーって!
僕 おかきたってもしかして岡崎の?
友 そう!やっぱ知っているわよね!有名店だもん!
僕 あっ、そうですねー(えっ?そうなん)
 
実は今から20年ほど前、おかきたさんで皿洗いのバイトをしていた。
その頃岡崎は付近で働いているヒト達が昼食を食べられるような場所が少なかった。
岡北は「マチのうどん・丼・定食屋さん」という雰囲気で繁盛していた。
しかし観光客が来る有名店ではなかった。
 
料理はみりんを多めに使っているのか甘いお味。
いわゆる「京風」というのとは違う。
「岡崎の北川または北村」が「おかきた」の由来ならば、もとは湖北や湖東の方が始めたのかもしれない。
湖北・湖東には「北川」「北村」姓が多からだ。
北川景子さんも御祖父は彦根の方らしい。
特に湖北はしっかり味が多い。
おかきたの味のルーツかもしれない。
 
婿さんらしき人が、僕にいろいろな話や冗談を言ってくれた。
家族経営のうどん屋に、バイト僕一人。
アウェイ感満点の状況で、婿さんの気遣いが嬉しかった。
ざるうどんを作るため、湯がいたうどんに氷水でぬめりとっている姿をいまも覚えいる。
当時の大将が作ってくれたまかないの木の葉丼の味が忘れらない。
木の葉丼なのにかなりの頻度で牛肉入っていた。
大盛りの木の葉丼風まかない。
当時僕は、大学を卒業後、資格試験の勉強をしていたフリーターだった。
当然お金はなく住んでいたアパートも家賃八千円だった。
食費にも事欠く始末。
そんな僕のおなかに、木の葉丼風のまかないは嬉しかった。
おいしかったなぁ。
寡黙な雰囲気の大将だったが、どこか優しさを感じさせる人だった。
きつねうどんを「しのだぁー」と厨房に伝える当時のお上さんの声も耳に残っている。
すべてが懐かしい。
 
20年ぶりにおかきたに行ってみた。
おしゃれな雰囲気になって観光客が行列を作っていた。
超繁盛店になっている。
婿さんらしき人が大将になっていた。
場所柄を考え経営方針を変更しただろう。
見事にあたってる。
やはり商売というのは息子が継ぐより婿が継いだほうが上手くいくようだ。
味は当事のまま。
甘いお味。
となりにいた年配の京都在住らしき男性も「ここは甘いお味なんやな。ふんふん。これはこれで上手いわ」とおっしゃっていた。
 
特に、とき卵を使ったお料理(カツ丼、親子丼、衣笠丼、卵とじうどん)がおすすめです。