中世の頃は寺領五百石、七堂伽藍、寺坊
四十九院、
観音堂が二堂、薬師堂、講堂、三重の塔、仁王門、惣
湯屋があったと伝えられている。
元亀二年に兵火によって建物は失われ、昔日の面影を留めていない。
現在は無住の堂宇一つのお寺となっている。集落から離れた、山の麓にひっそり佇んでいる。
里の人の手入れ、管理によりかろうじて廃寺を免れているようだ。
堂宇の隣には廃屋があった。かつての
坊守さんの家だろうか。
いくつかのお地蔵さんは真新しい涎掛けを纏っていた。とてもしみじみした気持ちになり、なぜか泣けてきた。