〜さざなみのおおやしま〜

何でも「少なく、小さく、軽く」が身上のミニマリスト。GAFAMの犬。楽天経済圏の住人。<サラリーマンのテーゼ>について考える。

山形県立山形南高等学校@山形市東原町


燃えたつ命の輝きに丘の桜も乱れ散る!
充実した三年間を過ごすことができた。
二時間超の通学で苦労したが、学校は楽しかった。
男子のみの学校だったので非常に気楽。
生徒・先生は南高に帰属意識を持ち、南高出身の先生も多く在職、私学のような鮮明なスクールカラーを持っている。
学校の校訓は「師弟同行」。
戦中に旧制山形二中としての開校であったため、教職生徒が共々、もっこ担ぎ、土を盛り上げ、孔を穿ったとのエピソードから出来た校訓らしい。
教師生徒が共に経験し考え成長するということだろうか。
生徒のみならず教職員にも向けられた校訓というのは珍しい。
勉強もそれなりにやる。
親友とも遊ぶ。
いい青春を送ることができた。
たまらなく懐かしい。
人生で1回きりの高校生活を南高で送ることができたのは非常に幸せだ。
我が子に進学を勧めたいかと問われれば、是非もなく勧めたいと答える。
進学校としての雰囲気があり、県内レベルでは強豪と思われる部活もある。
まぁ放課後寄るところもある。
生徒達も活発で前向きな人が多かった。
学校全体の雰囲気は非常によかった。
団結心や母校愛も強い。
公立高校としては非常に立派な遠征用バスを所有していた。
マイクロバスではなくてフル規格のバス。
中の証明はシャンデリア風。
なんでも寄付を募ったたら瞬く間に集まったとのこと。
同様の理由で立派なホールもある。
ちょっとした町村のホールより立派で、千人以上が収容できた。
 
南高に入学してくる生徒は多様だ。
公務員の家庭の子息が多かったように覚えているが、自営業や農家の息子達もいた。
兄弟が山形東高校(県下一の進学校)に在籍していたが、父親曰く「東高の保護者会に行くと、セダンの車が多く、保護者の職業は医者、教員、公務員、大きな企業のサラリーマンばかり。
南高の保護者会に行くと、軽トラが泊まっている。自営業者も多い。
自分としては南高の保護者会のほうが『あんばいいっちゃー』」だとか。
ウチの父親は北村山郡の農家だった。
生徒個人は南高第一志望で入った者、東高に学力的に届かなかった者、東高の校風を嫌い南高の校風を慕ってきた者、落ちるといわれたけど奇跡的に受かった者、東京で育ったが親の転勤や帰郷で山形に来たもの、山形市内のナンバースクール中学校上がりの街っこ、北村山郡や最上郡から出てきて山形市内に下宿して通学している者と多様。
 
普段はおとなしいのに野球の応援となると狂気を発する生徒会長、同級生が受験勉強で苦労しているのに自分だけ推薦をもらってラクすることはできない!とかっこいいコト言って地元国立を落ちた生徒会長(一浪で合格)、不良生徒の溜り場だった応援団を硬派で清潔な応援団に代えた応援団長、プロのスカウトが来る野球部のエース、学園祭の後、テンション上がりまくってネズミの集団自殺よろしく緑のプールにダイブした実行委員会。
 
大学時代、自作の模造刀を振り回して警察に捕まったことのある国語の先生、江戸時代から続くの大商人の家の出の数学の先生、天気や気象の解説ばかりしている社会科の先生、なぜかレスラーのような体系をしていたクォーターの英語の先生。
 
本当に学園ドラマに出てくるような先生・生徒がたくさんいた。
立地、施設、生徒、先生、校風ともどもすばらしい高校だった。