長浜と鍛治屋を結ぶ街道があったことを示している。
秀吉は長浜で初めて「城主」となり領地を拝領する「殿さま」となった。
尾張では中村村の貧農の小倅であった秀吉が、近江では「殿さま」となった。
秀吉はこの地をよく治め、領民も秀吉によく懐いた。
創作の世界ではあるが司馬遼太郎の小説に天下人となって大阪城にあった秀吉が、長浜の町衆の訪問を受けて「里の者よく来た。よく来た」といって座を降りた、という話が出てくる。
近江びいきの司馬の小説の中の話なので史実とは異なるかもしれないが、僕のこの話が好きだ。
長浜の殿様となった秀吉は国友村の鉄砲、鍛冶屋村の鍛鉄技術を抑え、吏僚的な才を持つ近江人を多数リクルートしたことは、後の秀吉の覇業の支えとなったことだろう。