Jフロントリテイリングの株を買ってみた件について
今日の朝、指値でJフロントリテイリングの株を買ってみた。
購入動機は以下のとおり。
ということで買ってみた。
さっき株価を確認したら850円になっていた。
今日だけで早速1200円の儲けになった。
この調子で上がってほしいな。
いい買い物をしました。
みなさんも配当金のもらえるワクワク生活はどうですか?
株式投資をするときに最初に読んだ2冊。
しかも今でも投資の基本スタイルになっています。
2冊合わせて読むと効果的です。
※本ブログの掲載事項は、個人的見解に基づくものであり、特定銘柄への投資を推奨するものではありません。また本ブログの掲載事項は必ずしも正確であるとは限りません。投資は自己責任でお願い致します。
ついに住所変更が完了してJフロントリテイリングの株を買うことにした件
ついに松井証券の住所変更手続きが終わった。
ネットで確認したら新しい住所になっていた。
そこで素早く注文出した。
そしたら「余力不足」とのこと。
成行注文の場合はストップ高の金額まで余力がないといけないというルール。
どう考えても明日の朝ストップ高とかならんやろ。
どーせガチホやし。
優待&配当金狙い。
これで2月に3千円ほど配当金が手に入る計算。
ステーキ食ってやる3千円の。
大丸ステーキ食べてやる〜。
大丸行ってデパ地下で肉こーたんねん。
しかも株主優待で10パーオフ。
一度株主になったからは骨の髄までしゃぶってやる。うひひ。
と期待に胸膨らむ次第。
あー、明日が楽しみ。
株式投資をやっていると株自体の値上がり下りにも気になるところですが、私のような長期投資を前提にしていると、配当金とか優待とか楽しみが多くなります。銀行に預貯金していてもこうはいきません。毎日のワクワクのためには、少々のキャピタルロスも仕方ない。どうせ配当金と優待で取り返すし、いーもん。
みなさんも退屈な毎日にちょっとした楽しみ、配当金や優待狙いの投資はどうでしょうか?
株式投資を始めるときに最初に読んだ2冊です。
その後20冊ぐらい読みましたが、この2冊が結局一番役に立っています。
2冊合わせて読むとより効果的です。
※本ブログの掲載事項は、個人的見解に基づくものであり、特定銘柄への投資を推奨するものではありません。また本ブログの掲載事項は必ずしも正確であるとは限りません。投資は自己責任でお願い致します。
【損しない】究極の所有欲の満たし方:預貯金よりも株を買って配当金と優待利用で得しようという話(おすすめです)
結論:究極の所有欲のみたしかたは名門企業のオーナーになること。あの名門百貨店大丸のオーナーの私ってカッコイイ!
株がほしい。
J .フロントリティリングの株。
100株から買えて、いまだと9万円未満で買える。
しかも配当金も年間2千円ぐらいもらえるらしい。
9万円を定期預金にしたって利息なんてつかへやんて思う。
それなら配当金もらったほうがいい。
当然、株だから元本割れの危険はあるけど。。。
でーもー、コロナで下りきっているし、J .フロントリティリング利用するしなぁ。
J .フロントリティリングといえば傘下の大丸百貨店。
ここのデパ地下「大丸ごちパラ館」が大好き!
テンション上がるもんなー、ごちパラ館。
京都行ったときには必ず大丸さん行くしなぁ。
心斎橋でも行くしなー。
新幹線のときは必ず大丸東京店でお弁当買うしなー
一度、大阪に宿泊したときに梅田大丸店(大丸では〜てん、じゃなくて〜みせ、と言います。だから「だいまるうめだみせ」)のごちパラ館でタイムセール品買ってホテルで楽しんだのはよかったなー。外食言ってる場合じゃない!って思った。
そのごちパラ館も株主優待で10%オフになるらしい。(100株の場合年間50万まで)
年間調べたら5万円ぐらいは使っているはず。
とゆーことは配当と合わせて7千円ぐらいお得になる。
これ10年も持っていたら絶対ペイするやん。
その時点でJ .フロントリティリングの株価が500円×100株でもありがとうって心から言える。
10年もたてば5万円より上がっているとおもう(たぶん)
ということで松井証券を開いて早速ポチろうとしたら、住所変更手続きが終わっていなかった。。。。ショック大。先週木曜日に書類送ったばかりやったわ。
まだかー、まだなんかー
待ち遠しい。
大丸百貨店でシュッとオーナーズカードを出すワ・タ・シ。
かっこよすぎる。
みなさんも大人のお年玉「配当金」をもらうワクワク生活はどうしょう?
さらに「所有欲」も満たせますよ。
わたしは日本の個別株の場合は松井証券さんを使っています。
1日50万円まで取引手数料無料です。
株式投資を始めるときに読んだ二冊。
その後20冊ほど読みましたが、この2冊が役に立っています。
合わせて読むとより効果的です。
※本ブログの掲載事項は、個人的見解に基づくものであり、特定銘柄への投資を推奨するものではありません。また本ブログの掲載事項は必ずしも正確であるとは限りません。投資は自己責任でお願い致します。
10歳以下の子供が10年間で「0人から12人」へ!「過疎地域で人口が増加」する米原市甲津原自治会で子供たちが遊べる「公園遊具の設置」。
気になる新聞記事をみかけました。
滋賀県最高峰の伊吹山の北部にある米原市甲津原自治会で過疎地域ながら子供の人口が増加する現状を踏まえ公園遊具の設置を行いました。
甲津原区では10年前の2009年まで10歳以下の子供が0人でしたが、2019年現在、12人にまで増加。少子化に逆行するかのように「過疎地域でも人口増加」が起きています。それを受けて、甲津原自治会は約15年前になくなってしまった公園遊具を、子供たちの為に設置することを決め「ブランコ、滑り台、鉄棒」の3つの遊具を設置しました。今回の自治会遊具設置に賛同し、甲津原に事業所を構える奥伊吹観光株式会社の会長で、甲津原区民でもある草野丈治氏からブランコと鉄棒の寄贈を受けました。
遊具の引き渡しは10月22日(火)に旧甲津原分校跡の公園で行われ、それに合わせて甲津原自治会の子供たちを公園に招き、遊具と一緒に甲津原自治会長、草野丈治氏と一緒に記念撮影を行い、その後子供たちが遊具で遊ぶ時間を設けます。
【甲津原自治会の人口増加の背景とその取り組み】
甲津原自治会は、1970年頃には約70世帯、約250人が暮らしていたのをピークに人口減少が始まり、5年前の2014年には36世帯、87人までに減少しました。近年の子供の出生に加えて、まいばら空き家対策研究会の積極的な移住支援により、田舎暮らしを望むファミリー世帯の移住者が増えたことで、10歳以下の子供が10年前の0人から12人へと増加しました。若い世代を中心に人口増加があり、高齢者が亡くなるのを差し引いても、現在37世帯、90人にまで増えました。
これには、移住支援はもちろん、甲津原の持つ大自然の中の澄んだ空気や景観に魅力を感じている人が多いこと、また田舎暮らしをしながらも、車で30分程度で買い物に出かけられ、新幹線の停車する米原駅にも容易にアクセス出来ることが挙げられる。何よりも、集落の住民が自分たちの生まれ育ったこの地域を愛し、永続的に集落が続くことを願い、移住者を歓迎し、好意的に接していることが大きな要因であります。
生活をシンプルにする赤箱の石鹸〜カウブランド赤箱石鹸〜
結論:全部、牛乳石鹸に任せて、シンプルな生活をしましょう
1.決断できる回数は決まっている
決断できる回数は有限らしい。
コレクションショップ YAMAMOTO 京極店@中京区中之町
京都でアーミー関係の服やら小物買うならここです。
京都の新京極で昔から営業しています。
学生の頃はよく言ってました。
僕はアーミーなものには興味はないのですが、学生でも買いやすい値段なので重宝してました。
ここで買った腕時計5000円は気に入っていました。
文字盤が青いイカリマークの入った珍しいネービーな雰囲気なもの。
コートも買いました。
8000円ぐらいで裏が起毛になっているもの。
起毛部分は取り外し可能で秋、春もいけるもの。
通販もやっています。
どんなものか覗いてみてください。
道の駅むらやま@村山市楯岡
Google map ローカルガイドの得点が120000を超えた件について
二年ほど前からグーグルマップのローカルガイドをやっている。
画像やら口コミをひたすら上げて今はレベル10になりました。
レベル11になるには20万点が必要になる。
たぶん無理だろうなー。
健康のため歩きまくっていた時期があった。
休日の場合は以下のようにしてた。
一定地域(大字単位とか)を決める。
その範囲でグーグルマップに登録している箇所をすべて(行ってみたい)で登録する。
現地で行ってひたすら登録した(行ってみたい)をめぐる。
トミーズのアンコを練り込んだ絶品食パン「アン食」@神戸市東灘区魚崎南町
あん食(アンコをねりこんだ食パン)のうまさたるや!似たようなパンは他にもあるけど、やはりここの、神戸の、トミーズのアン食が最高であります。ちょっとトースターで焼いてバターぬってたべたら昇天しました。
絶対オススメ!食べてみてください、うまいから。
J.フロント リテイリング株式会社の株を買ってみようかな、と思う件
日本株投資を細々とやっている者です。
正直、コロナショックで含み損です。
J.フロント リテイリング株式会社の株を買おうかと思案中です。
理由は主に株主優待です。以下のとおり。
- 大丸百貨店、松坂屋百貨店の買い物が10%オフになる。大丸京都店、梅田店、心斎橋店、神戸店、東京店あたりは使うことがあるので、単純に10%オフはうれしい。
- 配当金がある。コロナショックの消費不況のなかでも配当金が入る。配当性向が40%とのこと。今のところ最低投資金額八万円で三千円程度もらえる。配当性向が3%超えている。買ってガチホすれば10年で3万円。つまり株価3割下がってもトータルではプラスになる可能性が高い。
- 現在の株価が低くPBR が1を割り込んでいる。
- コロナはいつか収束するはず。消費も戻ってくるはず。
- いままで他の株からもらった配当金がある。配当金再投資は株式投資の王道。
以上の理由からJ.フロント リテイリング株式会社の株を買いたい!って思ったわけです。
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初心者にもオススメ!やはり株式投資の王道は配当金だな、と思う件について
結論:配当金をもらうのが史実に基づいた株式投資の王道
長年、株式投資をやっている方とお話しをする機会がありました。
この人ははバリュー株とか財閥系低位株のナンピン買い投資とか、いろいろとやってみたとのこと。
自分も少額とはいえ投資しているので、お話をふんふん言いながら聞いていました。
結局しみじみと言うのは
「やはり配当金もらうのが株投資の王道だよ、キミ」
とのこと。
株式制度が500年前にオランダで発生したときも「出資を分散、リスクを分散、利益も分散」というのが本旨だったとのこと。
株式会社という革新的手法で見知らぬ人々から巨額のお金を長期的に調達し、スペイン・ポルトガルが独占するインド航路の貿易を成功させた、というのが史実らしい。
つまり株式制度っていうのは、少しのリスク(資本)を提供して少しの利益(配当金)の分配に預かるための制度が本来の趣旨だと、博学なこの方はおっしゃるわけです。
だから邪道なキャピタルゲイン(売却益)は考えずに、インカムゲイン(配当金)をもらうことこそが伝統的で本質的な投資手法だ、とおっしゃるわけです。
この方は日本株で現在20万円ほど含み損を出しているけど、いままで配当金を合計すると、含み益よりもかなり多い配当金をもらっているとのこと。(具体的な金額はおしゃってくれませんでした。ケチ。)
そうかぁ、配当金は比較的手堅く入るものだし、自分も配当金狙いにしようかな、と思った。
株が上がるか下がるかはわからないけど、配当金が入るかどうかは事前に調べたらわかるもんなー、って。
底堅い企業に少額ずつ投資(分散投資)して少額づつ配当金もらうえばいいわけかー、と思います。世の中には「テンバーガー」という言葉があって株価が10倍に上がることらしいですが、こんなの狙ってできるわけない。っていうかこれできるなら、証券会社の自社取引の担当者なんて億万長者だらけですよ。頭のいい人がさらに選抜されて大手の証券会社に入ってもなかなか難しいわけです。私には無理無理。あきらめて配当金、チビチビもらったほうがいいに決まっている。
銀行に預貯金利子よりも、配当金のほうが金額は大きいし不労所得って素敵。
老後の備えにもなる(はず)
うん、そうしよう。
みなさんも配当金もらってワクワクする生活はどうですか?教養のある方なら、これこそが株式投資の本旨だと言うことがわかりますよね、多分。手数料無料なら尚更オッケーです。
わたしはその話を聞いたこともあって米国高配当ETFをSBI証券さんで買っています。
いかのところ含み益です。
12月には配当金が1万円ほど入る予定、これが年4回あります。
株式投資の最初の1冊としては以下の本がよいと思います。
アマゾンの「投資・金融・会社経営」でベストセラー第1位なので間違いないです。
※本ブログの掲載事項は、個人的見解に基づくものであり、特定銘柄への投資を推奨するものではありません。また本ブログの掲載事項は必ずしも正確であるとは限りません。投資は自己責任でお願い致します。
日本の道~The Long and Widing Road~より
日本の道~The Long and Widing Road~ 国道303号
国道303号
起点 岐阜県岐阜市
終点 福井県遠敷郡上中町
延長 134.1km
重要な経過地
岐阜県本巣郡北方町 同郡糸貫町 同県揖斐郡揖斐川町 同郡藤橋村
滋賀県伊香郡木之本町 同郡西浅井町 同県高島郡マキノ町 同郡今津町
指定区間 なし
国道303号の八草峠付近10kmはトンネル工事に伴って通行止めとなっている。自己責任の範囲ならば岐阜県より峠までの通行は可能であるものの,落石,倒木がひどく補修などは一切施されていない。峠には国道開通碑があり苦難の末に開通した地元の人々の喜びが感じられる。一方で建設中の八草トンネルは貫通しているものの前後のアプローチ道路の整備を残すのみとなっており,まだしばらくは工期が続きそうだ。
古くから美濃より近江へ抜ける交通路であった。毎月8月末の木之本地蔵縁日のため村を上げての整備が行われていたようである。明治23年に改修し揖斐-東横山間が北山街道として呼ばれるようになる。27年には西横山から広瀬を経由し川上までの坂内街道が整備される。横山までは県道岐阜揖斐線および揖斐高月停車場線として大正9年に認定される。昭和22年,川上から八草峠を経て滋賀県杉野村までのルートは坂内村,杉野村の双方から林道として整備が進められたが途中で放棄。坂内村の人々は炭焼きなどを主生計としていたが,仕事を片手間に林道開削工事を自発的に行い,昭和26年に開通させた。昭和45年5月に国道303号岐阜木之本線として承認された。それに伴い揖斐川から横山までは横山ダム建設に伴って新北山トンネル,久瀬トンネル,名倉トンネル,樫原トンネル,椿井のトンネルを含む区間の整備が昭和45年より開始され昭和61年まで続けられた。
参考文献
藤橋村史 藤橋村,1982
岐阜県道路史 岐阜県土木部,1992
【滋賀県のホームページ(現在は該当ページは削除されている)より抜粋】
現在行っている国道303号バイパス工事のうち八草トンネルが平成13年に開通するまでは、国道303号がこの峠を通っていました。昭和25年にできた八草林道が県道となり、昭和43年に国道に昇格したものです。幾重もの山並みにへだてられた北近江と西美濃でしたが、今日考えられる以上に交流は活発だったようです。婚姻による人の交流をはじめ、炭、薬草、楮(こうぞ:美濃紙の原料)等の物資、情報、文化、あらゆる面で強い結びつきが認められます。山を生業(なりわい)とする人々にとって山並みはへだたりではなかったようです
『日本の道』より抜粋http://japan.road.jp/
古くから美濃より近江へ抜ける交通路であった.毎年8月末の木之本地蔵縁日のため村を上げての整備が行われていたようである.明治23年に改修し揖斐-東横山間が北山街道として呼ばれるようになる.27年には西横山から広瀬を経由し川上までの坂内街道が整備される.横山までは県道岐阜揖斐線および揖斐高月停車場線として大正9年に認定される.昭和22年,川上から八草峠を経て滋賀県杉野村までのルートは坂内村,杉野村の双方から林道として整備が進められたが途中で放棄.坂内村の人々は炭焼きなどを主生計としていたが,仕事を片手間に林道開削工事を自発的に行い,昭和26年に開通させた.昭和45年5月に国道303号岐阜木之本線として承認された.それに伴い揖斐川から横山までは横山ダム建設に伴って新北山トンネル,久瀬トンネル,名倉トンネル,樫原トンネル,椿井のトンネルを含む区間の整備が昭和45年より開始され昭和61年まで続けられた.
近江との峠越えがなくなり八草村は絶えた。
岐阜新聞Web 2008年 8月28日(木) 分水嶺
今夏、大正時代に滅んだ坂内村(現揖斐川町)の八草集落跡を訪ねた。岐阜、滋賀県境にある八草峠の手前から軽四貨物車で林道を分け入ると、集落跡は夏草が生い茂っていた。
子孫たちが昭和59年に建立した記念碑が目に飛び込んできた。碑文は「江濃の山波累々」で始まり、「往古 この地に熊谷、佐波、長谷川、牧野、山本の五家居を構え、藤井神社を鎮めて八草村を興した」と刻む。
徳川中期の明和年代、住家は30戸を超え、住民は140人に増えた。生業は焼き畑と山仕事。明治の後半から村の暮らしは窮まり、大正8年、300余年の幕を閉じた。
民俗学者宮本常一は「ふるさとの生活」(講談社学術文庫)で八草村を取り上げた。昭和16年夏、大垣市から揖斐川町まで電車に乗り、そこからバスで坂内村へ。八草峠を越えて滋賀・木之本まで行く途中に立ち寄った。
宮本は「こんな山奥にまで、なぜ人は住んでみようとしたのか」と問い「人は失敗にこりないで、国のはしばしにまで村や町をつくりあげていった。失敗の歴史こそ、とうとい手本」と書く。
宮本の旅の追体験を地元の方にお願いして実現した。八草村が絶えた一番の要因は、近江との峠越えがなくなったことだという。今は八草トンネル(約3キロ)を抜ければ北陸自動車道へ。夏草の下からのぞく石積み。滅びた集落の跡にも歴史は潜んでいた。
▼明治政府以降、インフラ整備は都道府県単位で行われた。八草村は美濃国にありながら経済的には木之本、長浜と結びつきが強い地域だった。この地を江戸時代に治めた大垣藩は、薪炭を長浜の市で売ることを禁じ、大垣で売るようにお触れを出したとのこと。しかし人々は近江に通い続けた。理由は簡単、「近江のほうが高く薪炭を買ってくれるから」。明治以降、大垣から坂内方面に伸びる「坂内街道」が、岐阜県の事業として整備されるいっぽうで「峠越え」の道は打ち捨てれることになる。滋賀県としても県境の先にある小さな村のために道路を整備することはしなかった。鉱山のある金居原までの道路整備にとどめた。美濃にありながら北近江・湖北とつながりのあった国境の村は八草村だけでなく、幾つかあった。しかし多くの峠が現在でも車では通過不能となっており奥西濃ともいうべき地域と湖北の繋がりは途絶えたままである。岐阜県道40号と滋賀県道40号本巣山東線はかっこうの例である。号線の名前まで同じなのに途中で途切れているのである。この路線に沿った滋賀最初の村は甲津原であるが、昔は甲津原と峠を越えた美濃の村は通婚等行き来があったそうである。それがなくなった結果、甲津原もカウンターパートナーだった美濃の村も「どんつき」「行き止まり」の村となり、地域といての活力を半減させてしまうのである。かつては、いきいきとした動脈が通っていたのが、毛細血管の先っぽしか通らない地域になってしった。待っている結果は「壊死」である。つまりは村落の消滅が現実味を帯びてくるのである。